452  赤い実を食べた

アカミノヤドリギ葉を落とし、赤い実を付けているナナカマドにアカミノヤドリギが寄生している。ヤドリギは常緑だ。光合成をするので半寄生か。ことの成り行きを勝手に想像してみた。腹の空いた野鳥(ヒヨドリか)が先に食べたヤドリギの未消化の粘液質の種子をお尻のあたりにぶら下げ、あまり美味しくもないナナカマドの実を食べにやってきた。種子はナナカマドの枝に纏いつき芽を出す。根は樹皮の中へと延び、形成層で木部と結びついて増殖する。秋の赤い実はよく目立つ。私はヤドリギの実は食べたことがない。いずれにせよ、この植物は宿主と形態が異なるのでよく目立つ。西欧では神話や言い伝えが多いという。

今年の春、富山、射水市の勝興寺で「ほよ(=ヤドリギ)を取って無事であるようにと髪にさす」という家持の歌碑を見た。何かといわれの多い植物だ。

451  旨いぞホタテ

旨いぞホタテ友人からホタテが届いた。大ぶりの殻つきのが15個、「生きがいいぞ」と油断をしたら指を噛みつかれた。いつもなら正月用に殻ごと熱湯に入れ、瞬時に取り出して貝柱を保存に回すのだが、今日はその前祝、極上の北海の絶品をそのまま味わった。まずは刺身。貝柱は厚めの3枚にそぎ切り、ヒモはぶつ切り、エラはそのまま。産卵期を終え、卵巣は小さいが短冊に。貝柱の固く締まって甘いことよ。卵巣は新鮮なウニの味。潤沢な磯の香のヒモは何とも言えない歯触りで、懐かしい赤貝を思い出す。ワサビは野暮だよ、要らないね。  あと一品、膨らんでいる白い下側の殻にむき身とバターと醤油を入れ火にかける。アツアツのところをウロごと二口ぐらいで頬張る。

450  ジオガシ旅行団

ジオ菓子日中-5℃に冷え込む有珠山洞爺湖ジオパークで、暖国伊豆ジオパークから遠来のジオガシ旅行団をゲストに迎えジオカフェが開かれた。「大地(ジオ)の面白さを美味しいお菓子に」という発想は科学と日常生活での幸せ感とのニッチを埋める素晴らしいアイデアだ。伊豆半島のジオサイトを表現する「9ジオ入り標本箱」が販売されており、ばら売りの標本、「弁天島斜行層理」と「下白岩有孔虫化石」を買った。実に固い地質学用語と上出来なお菓子のそのミスマッチさに感心する。有孔虫レピドシクリナ(鱗状で球形の意味)の化石を含む岩の原材料に玄米、ハトムギ、レンズ豆が含まれていたのには感心した。

考えてみれば、地学的な噴火や堆積、熱変性、結晶化は調理学での事象と重なる点が多い。規模や時間のスケールに圧倒的な差があるが、それも含めて手にする可愛いクッキーは何とも愛おしい。大地の成り立ちも、ざるの上やオーブンの中でのお菓子作りの成り行きで説明できるのだから、これはイグノーベル賞ものだとポリポリ齧りながら考えた。

449  食足りて礼節

河口の鳥たち国道37号線の橋から見下ろす長流川の河口近くの河原には水鳥が集まっている。オオハクチョウ、カルガモ、オオセグロカモメ、ミヤコドリもいるようだ。浅瀬や岸辺には遡上し終えて死んだ鮭がたくさん見える。カモメは腹いっぱいに違いない。カラスたちも喰い飽きて編成し終えた群れでどこかの畑に集まっているのだろうか。ホッチャレ鮭目当てで毎年飛来して春まで留まるオジロワシ、オオワシもすでに姿を見たという話を聞いてはいるが、ここにはいないようだ。

小春日和、集まっている鳥たちは何かのんびりしている。オジロワシ、オオワシがいてもキタキツネがうろうろしていても満ち足りているとこんな具合だ。  中国漢代に「倉廩(そうりん=穀物庫)満ちて礼節を知る」という言葉があるそうだ。納得できる風景だ。

448  壮瞥リンゴのショソン

ショソン12月にもなると窓からは雪色の有珠山と昭和新山のドームが見える。この町自慢のリンゴの収穫も終わっていよいよ冬ごもりの時期となる。   我が家の今年のリンゴを使ったショソンを作った。中身はこの秋収穫の早生種の「津軽」のジャム。甘みを抑えたプレザーブ風のジャムを1個、60g入れてある。溶き卵を塗りクープを入れて180℃で20分、パウダーシュガーをたっぷり振り220℃で更に5分も焼くと、表面はカラメライズされて味と色が深みを増す。今日は一気に20個焼いて、いかがですか、冬の日の午後、食べに来ませんか。

447  イワシの灯り

イワシの灯り近海産のマイワシを煮付けにしたら、煮汁の上にたっぷり油が溜まった。濃いめの味付けは脂とよく合い、芳醇な身は馥郁として骨離れもよく、魚好きにとっては文句なしの逸品だった。考えるところがあり、夕闇を待って麻紐で灯心を作り、火を付けた。思ったとおりだった。よく燃えて明るかった。 ニシンやイワシが豊漁だった時代、有り余った魚は大釜で煮られ魚粕となり上質の飼料や肥料にされた。魚油は不足していた鉱物油の代わりに使われて生活を支えた。漁師の生活は魚だけはあったけれど、あとは貧しかった。灯りがないと晩飯が作れないし、それよりも魚を口へ運べなかった。

447  由一ではない鮭図

塩引シャケせっかくいただいた前浜の鮭だ。上身にして塩で締め、切り身で保存しようと思ったがそれでは芸がない。見事な鮭だから、こいつの命をもっと有難く頂戴しようと、塩引きシャケにすることに決めた。近頃の鮭はただ甘ったるい味ばかりで、旨みの中に塩の効いた、焼いて塩汁が白く染み出しているようなやつが食べたいと願っていた。

切手鮭図

塩蔵と風乾と時間が蛋白質を純良なアミノ酸に分解し、出来るなら鼻を擽るアミンもあってと考え、とシャークベイの天日塩を多量に用意し、出刃を研いで事に臨んだ。鰓と内臓を取り腎臓はメフンに、眼窩にまでも塩を詰め込んで一週間、滲出した生臭汁を捨ててよく洗い、小一時間塩水につけて塩出しし、あとは冷たい風任せ。表面が干からびても取り込んで置くと身の中の水分がにじみだす。また風乾。半月経って出来ました。辛口のシャケ。

「本物の辛口のサケが少ないとお嘆きのご貴兄に」、いかがかな、手作りが一番ですぞ。 高橋由一の鮭図に倣って,旨そうなところを貴兄に一本進呈。

 

 

 

 

446  タコまんま

タコまんま今日、魚屋で探していたものを見つけ買った。「タコまんま」といい、「タコに入っている飯」の意味だ。ヤナギダコの卵嚢で一個が300円ほど。この季節になると出回り、旨いので買ってしまう。卵嚢には1,000粒ほどの米粒に似た卵が入っていて、岩などに一粒ずつ産み付けられるという。マダコやミズズダコの場合は房状につながって産み付けられ「海籐花=かいとうげ」といい食通には有名だ。たっぷりの湯に放すとやがてバラバラになり、コメのポン菓子のような形で歯触りのよい個々の卵が現れる。私は醤油と味醂と厚切りの生姜で濃い目に味付けをして、熱い飯にかけて食べる。

445  馬頭観世音

馬頭観世音有珠山の山頂、洞爺湖町の街並みを望む、道の駅「アプタ」の裏山に馬頭観音がたくさん並んだ小さな公苑がある。1805年江戸幕府直轄の官営牧場がこの付近から伊達市黄金に至るまでの広大な「牧」=牧場が作られた。その時馬の守護を願って作られたのが馬頭観音の碑。やがて松前藩の支配になって「有珠虻田牧」となった。 1822年(文政5年)3月12日、有珠山は地震発生後3日で山頂噴火となり、火砕流はこの付近を飲み込んだ。火砕流はアプタコタンを焼失させ、牧士の村田父子をはじめ死者82人、牧馬の斃死多数とこの地の海岸寄りの有珠善光寺の記録にある。ここには今に至るまでに建てられた使役馬、競馬などの馬の碑が多数集められている。さらに有珠山の2000年噴火の人々の避難生活の際死んだ「ペットの碑」も建てられている。

444  小さな入り江「ポンマ」

ポンマアイヌ語のポン・マ(=小さい・入江)に由来する地名。北海道に散在する「ポン・モイ」と同じなのだろう。まことに小さく穏やかな入り江だ。入り江から続く奥の平坦地には「ポンマ遺跡」がある。縄文の昔からここは人々が生活の場として使い続けてきた入り江だ。7~8千年前の有珠山の山体崩壊でできた流山地形がそのまま岬になり入り江となった。名づけて7千年入り江。数百m離れて有珠山からの豊富な伏流水も湧出していて、昔ならずとも、自然豊かで温暖なこの地に居を構えたくなる。目の前は豊饒の海。一世紀も前、もし私が放浪の身でここにたどり着いたら、きっと膝を打ってここに終の棲家としたであろう。身内のことを話せば、明治の初め、秋田を離れこのあたりに辿り着いた私の曾祖父はたまたまここを知らずに、静狩に腰を据え漁師となり、やがて網元となった。静狩もここに負けずにいいところだが。