今年(2011年)の春にはまだ、庭先の少し向こうにはカラマツの林が良く見えていて、いろいろな鳥がやって来たし、居間から鳥たちの世界を垣間見ることができて、ずいぶん楽しい毎日だった。
春の終わり、突然にこの林の伐採が始まった。土曜の昼から夕方までのプロたちの作業で、林きれいに無くなった。同じ方向を向いて倒された緑の葉をつけたままのカラマツが林ごと横倒しになっていた。トドマツも混じっていた。樹齢40年ほどの小さいけれど林は秋にはハナイグチ(北海道ではラクヨウという)も楽しめたのに、40年間いろいろな命を育んできた林はたった5時間ほどで地球上から消えてしまった。ずいぶん高いところにあったカラス達の巣も樹とともに地面にたたきつけられてしまった。それでも、雛が巣立ちした直後だったことは不幸中の幸いだった。
それから半年、やっとカラマツ林がない風景に離れたものの、あっけらかんとした風通しの良すぎる空間を見ていると、心地よい風景の本や、生き物たちのことがいっぱい書かれている画集で埋められていた書棚の一段分が、とつぜん捨てられてしまったような気がしてならない。その時そこにいたカラス達は変わらぬ顔をして、今でも私の窓辺にやってきているけど、ついつい、彼らの身の上に起こったことを思い出してしまう。
ここからは私たちがここへ越してきて三年目の春(2006年)の、カラマツの林に住むカラスの話である。彼らは毎年混植されているトドマツを選び、前年と異なる樹に場所を変えて巣作りをしている。今いるカラスの三代ほど前のカラス達の話だ。(2011年12月)
タンポポの黄金色の原っぱが平坦に続いていって、その奥は冬を越した麦の緑。ずっと向こうには開拓記念の大きなカツラの樹のある森といくつかの屋根がみえる。そんな風景をすべて呑み込んでしまう波のような若緑色に輝く昭和新山と有珠山が見えている。今年の春は遅かったが、よく晴れ日が幾日か続いて、とうとうわが壮瞥の町にも新緑の季節がやってきた。
ヤキーが鳴いた。ヤキーはアイヌ語で言うエゾハルゼミのことで「ヤキィー」と鳴く。去年のヤキーは5月28日に初めて鳴いた。今年は遅く6月5日だった。カッコウが鳴いて田植えが始まった。カラマツの新芽が伸び始め、六月の林は明るくひかる若緑に包まれている。
数十本、横一列に並んだカラマツの林。そのなかに三本のトドマツが混じっていて、一番右側のトドマツの梢から5メートルほど下がったところにハシボソガラスの巣がある。去年、カラスは隣の農家の前のマツの木に巣を作っていた。雛の巣立ちの頃、あまり騒いでうるさいので巣を棒でつつかれ親子そろって追い出され、カラスたちは酷い目にあった。親ガラスは騒ぎ立て、二羽の子ガラスは驚いて泣き叫び、人々の大声、それはとんだ愁嘆場であった。農家の人にしてみれば、サクランボは食べる、リンゴはつつく、うるさくわめきちらす。煩わしい限りだ。
けれどもここ一年、家の周りのカラスと付き合ってみると、カラスたちの行為は、彼らが目立ちやすい存在だからその様に見られるだけで、悪戯ばかりして一日を暮らしているわけではない。巣を作り、まして育雛中のカラスは縄張りがはっきりしているから、数に物を言わせて悪さをする無頼の徒呼ばわりをするのは可哀そうな話だ。ただ、秋になって群を作り束になって豆畑にやってくるとなると、これまたいろいろ問題があるのだが。
6月の初め、雛が巣立ちしてカラマツの柔らかい枝にぶら下がるように不時着したり、巣の下の草はらに降り、好奇心に駆られアカツメクサの葉を引っ張ったり虫をつついてみたりする頃になると親カラスはもう大変だ。親として子供を守る責務にいよいよ忠実になり、たまに通るバイクの郵便配達のお兄さんを威嚇し、のんびりやってきた農家の白黒のぶちネコを追い払い、たまにはお菓子のパイ生地の端っこをやっている私にも、近寄るなとしゃがれ声でうるさく付きまとう。
わたしだってそんなに傍まではいってないのに。こんな時の親ガラスはとてもナーバスになっていて、感情のはけ口を探し、騒ぎ立て喚き散らす。勢いあまって自分の止まっている電線を激しくつついてカカカカンと警戒音を立てたり、あろうことか、リンゴの木の枝先で満開のリンゴの花をつつき、むしり、撥ね散らかす。ここはリンゴの産地だ。木の下に薄い紅色がかったきれいな花びらが一面に散らかり、中には花が房のまま落とされていて、まさしく落花狼藉だ。このような特筆すべき威示行為が常時あるわけではないが、こんな状況にたまたま出くわした人は、ついつい、やっぱりカラスは、と思ってしまう。体が大きく、すこし大人びた物腰のカラスの行動は少なからず目立ちすぎてしまうようだ。
4月7日、近くの山にまだたっぷりと雪の残っていて、草はらにフキノトウがやっと顔を出した頃、この二羽のカラスが交尾するのを見た。今年になって、草はらの向こうのトドマツに巣を作った番(つがい)は、去年、隣家のマツの木から追い払われた、件の若い親たちと思われる。まだそんなに嘴も太くなく、体つきも少し華奢に見える。代々、このあたりを縄張りにしている家系の末裔に違いない。
ハシボソガラスの交尾期が何時頃なのか、その期間などについてはよく知らないが、たまたまこの番の交尾を見られたのは幸運だった。やわらかい風が吹く昼下がり、電柱の天辺でカラスは交尾していた。その後、交尾のとき下になっていたカラスの背中の羽根がひどく乱れているのに気がついた。「この個体は雌だ」。この番が私のすぐ傍までやって来たとき、雌の嘴がもう一方の雄のものとかたちが違うことに気がついた。雌の嘴はやや短く整った二等辺三角形に近く、雄の嘴は雌よりやや長くいくぶん湾曲している。この違いがハシボソガラスの普遍的なものとは思わないが、少なくともこの番の雌雄の嘴の形態の差異と考え、この番の観察には個体の識別という点でずいぶん役に立った。
巣作りの様子は3月の半ばから観察された。雄が巣材を運んでいる。トドマツの太い幹から出た手首ほどの太さの枝の付け根に、1mもあるカラマツの枯枝を苦労して運び上げているのを見かけたのが事の始まりだった。巣作りは雄が中心に行われているように見受けられる。
巣作りの様子は3月の半ばから観察された。雄が巣材を運んでいる。トドマツの太い幹から出た手首ほどの太さの枝の付け根に、1mもあるカラマツの枯枝を苦労して運び上げているのを見かけたのが事の始まりだった。巣作りは雄が中心に行われているように見受けられる。3月25日には、なにやら柔らかそうな巣材を口いっぱい咥えて運んでいるのが見られた。内装工事に取りかかったようだ。巣材運びは3月末で終わった。
4月10日頃から、一羽が巣にうずくまり始めた。フィールドスコープで見ると、巣にこもっているのは雌らしい。抱卵し始めたのだろうか。夜も巣を離れずにいる。雄も巣ですごしているかはわからない。5月2日、雄が餌を運んでいるようだ。巣のこもっている雌にも餌を与えているような気もするが正確にはよくわからない。雌も巣を離れしばらくすると戻ってしっかりと巣に蹲る。5月5日、雌が巣を離れた時に巣の上でちらちら動く雛を目にした。二羽の親が頻繁に餌を与えている。いよいよ忙しくなるぞ。カラマツの枝に新芽が萌え始めた。枯枝のようだった細い枝の大豆粒のような黄色い点が日増しに大きくなり、黄緑の房となって拡がってゆく。
5月19日、カラマツの新芽がフィールドスコープの視界に萌黄色の紗をかけ、カラスの巣の様子はシルエットでしか確認出来なくなってきた。淡い緑のその向こうに雛の羽ばたく動きが見える。どうやら2羽でなく3羽いるようだ。一昨年の先代の番は2羽の子ガラスを連れて歩いていた。去年の子ガラスも2羽だった。がんばれ、春の黒い鳥たちよ。5月23日、雛は巣から顔をのぞかせ餌をねだっている。親達は忙しく飛び交い、いろいろな方向から餌を運んでくる。
5月25日、親ガラスの不在中、よく動く影が目立つようになった。巣の中で立ち上がり、伸びをしている影が見える。5月26日、巣の中で雛の一羽が羽ばたいている。別の雛も動き回っている。ずいぶん大きくなっていて、いかにもカラスめいた形と動きだ。5月30日、巣に上で雛たちが思い思いに立ち上がり羽ばたいて実に落ち着きが無い。先を争って餌をねだり、親は頻繁に巣へ戻ってくる。しかし、戻るたび餌を運んで雛に与えているかというと、そうでもない。戻ってきて巣のすぐ近くの枝に止まっているだけのようにも見える。
野鳥の観察記録で、雛の巣立ちを促すように給餌を控える記載や映像が見受けられるが、そのようなことがここでも行われているのだろうか。あまり都合の良い解釈はしたくは無いのだが。この日の夕方、雛たちは羽を広げ、巣の脇の太い枝に伝い歩きをしていた。もう間近に巣立ちの予感がする。 5月31日、夕方、気がつくと雛の一羽は巣の上に、もう一羽は巣から数メートル離れた隣の樹の枝に止まっている。巣立っていたのだ。あと一羽はどこにも見えない。親ガラスの姿も見えなかった。どこかへ行ってしまった子ガラスを追いかけているのだろうか。巣から離れた瞬間に今までの雛は、おのれのままならぬ飛翔具を持った無鉄砲な子ガラスとなり、黒い翼を不器用に使って何処かへ飛び出していってしまう。
6月3日、前日の夜半から午前中いっぱい、強い風が吹きまくった。家の前に出してある月桂樹の大鉢も倒れ、大きな株に育ったルピナスが半分ちぎれとんだ。草はらの向こうのカラマツの樹は吹き抜ける風にあおられ、林全体が斜めに傾いて耐えている。カラスたちの姿は全く見えなかった。
夕方になって気がつくと、カラマツの新緑の枝にそれぞれ離れながら、点々と黒い子ガラスが止まっている。良かったね、吹き落とされなかったのだ。どうやって耐えたのだろうか。それとも、午後になってやっと樹へ戻れたのかもしれない。それにしても、世間知らずの子ガラスたちにしてみれば、巣立ち早々、きっちりと大きな試練に出くわしたというわけだ。去年の、巣からの強制退去騒動もそうだった。カラスたちはそんなこともごく当たり前のように乗り越え、そしてやがていっぱしのハシボソガラスになってゆく。
初めのうちは草はらへの着地もおぼつかなく、つんのめって大転倒し、スズメが二羽あわてて見に行ったくらいの体たらくであったが、6月半ばになると子ガラスたちは自由に飛びまわり、親達の後をついて回っている。だが、空中に舞い上がり、足に頼らず移動する魅力に惹かれた子ガラスたちはじっとしてはいない。
原っぱの向こうの梅林や反対側の空き家の屋根、栗の大木の茂みの中と、三羽それぞれに動き回り、親たちは本当に大変だ。その上、餌だけは親に頼りきっていて、羽を下げ、身を震わせ、大口を開いて餌をねだる。最も親の気を引き付け、親が居ても立ってもいられないような声をあらん限りの声量で鳴く。それも本当にひどい声で。いくら声には定評のないカラスだとしても、鳥の声とはとうてい思えない。はるか昔、やっと翼を得て爬虫類から進化したばかりの始祖鳥もかくやとばかりの声である。あまつさえ、親から餌をもらってはそのつど息が詰まり、むせ返すような、恥も外聞も何も無い声を立てて飲み込む。アア、もっと落ち着いて食べればよいのに。
でも親はそれでも満足で、せっせと何処かで餌を探し出し、餌の隠し場所を探し出してはかき集め、場合によっては空き家の物置の屋根に溜まった水に一度浸して餌を運び続けている。自分たちも食べてはいるのだろうが、溜まり水を飲んでは、子ガラスを見張り、餌を運び、草刈の人と罵りあい、大きな赤いトラクターを追い払おうとまでする。この季節はハクセキレイの繁殖の時期でもある。ふと見上げると親の片割れがハクセキレイが3羽に追いかけられながら飛んでいる。息つく暇も無い。親ガラスが電線に二羽並んで止まっている。二羽とも体つきがさらに細くなっていて、雄の初列風切の何枚かが抜け落ちていた。
朝3時、東が白み始める。4時、あたりは小さな鳥たちの歌で充ちている。北の国の夜明けは早い。朝霧の中、カラスたちはそろって活動し始める。子ガラスの行動範囲はどんどん広まっているようだ。一日中カラスの家族のだみ声があちこちから聞こえているけど、聞き慣れてしまってあまり気にならない。
子ガラスたちは群れを作る練習に入り、さほど互いに打ちとけ合う様子もなく適当に集まっている。夕刻からのカラスは三々五々、ねぐらへと移動する。遠く近く、おなじ律動周期で羽ばたく黒い影を一羽一羽が気にしはじめ、同じ方向を目指してその仲間となってゆく。この地域では有珠山のロープウェイが就塒(しゅうじ)前の一時集合場所、昭和新山の麓の林がねぐらとなる。
ツグミとコムクドリは何処かへ行ってしまった。ヒヨドリはサクランボが熟するのを何処かでひそかに待っている。遠くからアカゲラのたか鳴きが聞こえてくる。スズメがいつもにはないいろいろな声色で歌いまくっている。午後、緑は一段と濃くなり、六月半ばの風が吹いて樹の葉がきらきら揺れる。カワラヒワがビィーンと歌い、鎌の刃のようなアマツバメが舞いながら澄んだ空に駆け昇る。
白い半月が夕方の空を木星をつれて移動している。夜八時を過ぎてもまだうっすらと明るく、やがて田んぼでエゾアカガエルの一斉合唱が始まる。足元ではオケラが機械の部品が緩んで共振するような音を立てている。ビイーーィ。六月は生き物の季節だ。十時を過ぎて、ギッ、ギッ、ギッ、ズビーヤク、ズビーヤク、ザザザザッっと、暗闇の中、カミナリシギ、そう、オオジシギが自分の縄張りをあたりにふれて回り、かくして生命に満ち溢れた豊饒の一日は終わる。夜気が霜のような冷たさで忍び寄り、世界が静かになる。草はらにも林にも有珠の山巓にも本当の夜がやってくるのはそれからのことだ。(2005年6月末)