噴火湾の長流川水系、壮瞥川に鮭が大量に遡上しています。とても嬉しいことです。去年もたくさんの鮭の姿が見られ、壮瞥滝の滝つぼ付近に辿りついた個体もあったと言います。
自然は時に予期せぬような素敵な贈り物をしてくれます。太古からつながってきたごく当たり前の、ひょっとするととても単純は条件の変化が引き起こした結果なのかもしれません。ただ我々が解析できないファクターの脈絡が目に見える結果を生み出したのでしょう。
鮭が大量に遡上すると、自然のシステムの中で、食物連鎖でのエネルギー収支の変化のきっかけとなります。この冬、長流川水系で、オジロワシ、オオワシがいつもより多く見られるかもしれません。このところ中流域にあたる壮瞥にはあまり見かけないカモメの集団が見られるようになりました。ヒグマは現れないでしょうが、カラス類を含めた肉食の鳥たちに混じって、キタキツネなども恩恵を受けるでしょう。春までは水底に沈んだ「ホッチャレ鮭」が生きものたちの命をつなぎます。食べ残しや糞は地の糧となり、次に地中の小さな生物やバクテリア、菌類が増殖し、エネルギーの流れは地上の植物界へと移行することとなります。
長流川水系のみならず、噴火湾にそそぐ中小の河川でも同じような傾向が見受けられるようです。室蘭近くの崎守町の用水の出口みたいな小さな川チマイベツ川は、本来チマイペッ・オッ・イ(焼乾鮭・多く・有る所)と言い、むかし、小屋掛けして冬の食料を得た時代があったと言います。今は、漁業権も設定されていない、言うなれば自然の川としての権利を放棄したと考えられている川にも、それでも幾ばくかのサケはきちんと回帰し、匂いを嗅ぎつけた釣り人もまた各地から集まってきています。
古来、自然はすべてに放逸で潤沢であったのでしょう。ひとはダムや堰堤を作り護岸を整備し「住みやすい」世の中にしました。その結果が今日の我々が見るおとなしく単純で、味気ない自然です。
朝日新聞にマーク・カーランスキーの「魚のいない世界」と言う本の広告が載っていました。まだ読んではいませんが、この著者の「鱈・Cod・世界を変えた魚の歴史」は池央耿さんの読みやすい訳で、実に面白く読みました。世界の庶民の生活を支えてきたタラが絶滅の危機に瀕していることが切々と説かれています。これらの本が巷で喧伝され、必要とされるような時代になってしまいました。
過去に、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」(1962年)がベストセラーになり、先を争うように買い求めました。彼女は出版された2年後に亡くなりましたが、本来は海洋生物学者で、環境に関して20世紀後半で最大ともいえる問題提起をしてくれました。今たまたま、彼女の「The Edge of the Sea」海辺=生命のふるさと を読んでいたところです。
小さな、本当に小さな(聞くところによると流域の短さでは記録的な川とのこと)壮瞥川の数百匹のサケが、私たちを、「大きな自然のシステムの在り方」を考えさせてくれます。