有珠山の山頂、洞爺湖町の街並みを望む、道の駅「アプタ」の裏山に馬頭観音がたくさん並んだ小さな公苑がある。1805年江戸幕府直轄の官営牧場がこの付近から伊達市黄金に至るまでの広大な「牧」=牧場が作られた。その時馬の守護を願って作られたのが馬頭観音の碑。やがて松前藩の支配になって「有珠虻田牧」となった。 1822年(文政5年)3月12日、有珠山は地震発生後3日で山頂噴火となり、火砕流はこの付近を飲み込んだ。火砕流はアプタコタンを焼失させ、牧士の村田父子をはじめ死者82人、牧馬の斃死多数とこの地の海岸寄りの有珠善光寺の記録にある。ここには今に至るまでに建てられた使役馬、競馬などの馬の碑が多数集められている。さらに有珠山の2000年噴火の人々の避難生活の際死んだ「ペットの碑」も建てられている。