176 過酷も恩寵

素顔の洞爺湖 冬の北海道はこんなもの。もっと北は凍結して逆におとなしくなる。日本はいいですね。このような風景からサンゴ礁、マングローブの海まで、ビザなしだ。南北に3000km。これほど懐の深い自然に恵まれた国は多くは無い。この国に生まれただけでも幸せというものだ。だが、それだけデリケートな自然でもあり、多様な自然災害の存在も事実。あわせて受け入れねばならない。

175 風に吹かれて

凍れるハクチョウ 洞爺湖、北風岬でこんなのに出くわした。北風に舞い上がった飛沫が凍てついてたまたたまこんな形に。自然の妙などとは言わないが、風に吹かれ、鼻水を凍らせながら気の向くままに歩いていると何かに出会う。温室住まいからは何も生まれない。季節は冬。ごく当たり前の季節の経過を皮膚で感じて初めて「生きている」証になる。書を捨てよ、凍れる野へ出よ。

174 極寒のラベンダー

ローズマリー-8℃。バス停からの帰り道、近所の庭の端っこにあったラベンダー。ローズマリーかと思ったが、香りを嗅いだら、確かな豊潤な大地の香り、ラベンダーだった。寒さには強いとは思っていたが、雪に埋もれているならわかるが、寒風に晒されて春を待つ。神奈川にいた頃、ラベンダーを数株植えたが、夏の暑さには耐えきれなかった。我が家の庭にも植えよう、あの薄紫の花穂で何を作ろうか。寒中に庭仕事を考えた。

173 寒風のケサランパサラン

ガガイモ 12月、北国の寒風に乗って幸せの種子を運ぶガガイモ科ガガイモ属のガガイモ。冠毛は長く軟らかで、斜めの陽射しの中を緩やかに飛ぶ。ケサランパサランは幸福をもたらすと言うが、この世の幸がこのように軽いのもまた真実。人の運不運もまた、糾える縄のごとく、吹く風に弄ばれながら漂泊し続ける。吹き溜まりで絡まりあって、大きく膨らめば望外の喜びだが。

172 目からうろこ

アカエゾマツ、エゾマツ 以前から全体像がいまいち把握できていなかった針葉樹、ドイツトウヒ(左)とエゾマツ(右)。先日の湿った雪と大風で樹の根もとに枝ごと落ちていて、樹形、樹皮、葉、球果の一連の関連できた。その結果は一目瞭然、はたと膝を打ってすべて納得できた。葉の表裏から球果の鏻片まで、混乱していた事象は雲散霧消。物事ってすべてこうなのだろう。

171 力岩の露頭

熔結凝灰岩 壮瞥滝近くの岬の先端、吹き付ける北西の風が飛沫となって凍り、足元を危うくする。見上げると洞爺湖岸には珍しい天然の断崖。壮瞥滝の下の河床の壮瞥火砕流堆積物は100万年以前とのこと、その上部にある滝の上熔結火砕流の露頭なので、それ以降の年代なのでしょう。見事なものです。この付近の湖岸から湖底に続き、壮瞥滝を形成している「力岩」の露頭なのでしょう。

170 過冷却の海

伊達新港 空っ風で体感温度は-10℃以下。釣り人のタックルバッグには40cmの綺麗なアイナメ(アブラコ)が1尾入っていた。ここは減少する漁獲量を確保するために噴火湾につきだして作られた、出来たての伊達新港。こうやって浅海は隔離され埋められて、祖先から引き継いだはずの美しい海はさらに遠くなる。冷え切った体で帰路についたが、車の旧式のナビには遥か海上を走った痕跡が残っていた。

169 不思議な一体感

「起源‐湖上に向かって」 旧洞爺村のちかく、雪の中にある黒御影の石彫。石塊の曲線は優しく柔らかで風景と一体感を持ち、磨かれた面に映る風景は違和感なくフィールドとつながっている。いろいろな方向から映る風景を楽しんだ。湖の周囲43kmをステージとしてこのような彫刻が58基置かれている。1977-78の有珠山噴火復興10周年記念に作られたものだ。これは湯村光・作 「起源‐湖上に向かって」。

168 地の砂糖

有珠山、昭和新山 ここはR453に並行して北上する伊達警察署から立香峠(仮称)への農道。長流川の左岸の10万年前の洞爺湖カルデラの火砕流台地だ。ここは有珠山、昭和新山を眺めるには絶好の地で、人工物もなく火山の全体像が間近に見える。今は砂糖大根(ビート)の収穫の時で、噴火湾近くの工場で砂糖(甜菜糖)となる。火山灰台地が育てた砂糖というわけだ。ジオの産物、ジオの甘味だ。噴火は災害ももたらすが、その麓では人はその恩恵にもあずかる。

167 時の形

ハリギリ(センノキ) 洞爺湖の湖岸を取り巻く林は国有林。奥行きは狭いが伐採を逃れた原生林だ。寒気がゆるんだ合間を縫って太い木を訪ねて歩く。この樹、初めはこれほどの形には見えなかったが、近づいて驚いた。四、五十年前、この樹に何かがあった。なお命をつなぎ、形成層は木質と樹皮を肥厚させ続けた。風雪に耐えてこの異形となり、樹は何も語らない。ゆっくりと春の芽吹きを待とう。