161 トクサ・砥石ではなく砥草

トクサ 洞爺湖湖岸のトクサの群落。シダ植物門トクサ綱トクサ目トクサ科トクサ属属名 Equisetum は馬の尻尾。 古生代石炭紀(約3億年前)に栄えたロボクの仲間だ。同じ属にスギナがあり、その胞子茎(ツクシ)を見ればトクサの形態が納得できる。トクサは砥草、束ねて硬い表面で木地や什器を磨く。歯や爪を磨くことを子どもの頃、誰かから教わった。誰かが伝える。大切なことだ。

160 黄金色の冬仕度

黄金色の 昭和新山の屋根山の斜面のカラマツの疎林。針葉樹はトドマツ、白い幹は早くに葉を落としたドロノキと、シラカバ、ハンノキ類。斜光を受け黄金色が眩しい。昭和新山の噴火後70年近くたって、これだけの森が出来上がった。無生物の火山灰の中から生育した炎のような命の輝きは、自然の持つ破壊と創造の力の証し。まばゆい光芒はここ一週間で色あせ、冬の眠りに就く。

159 洞爺湖中島

洞爺湖中島 壮瞥公園からの中島全景。左から弁天島、観音島、饅頭島。右手は大島。左奥のとがった山頂を持つのは西山(455m)、手前の丸い、なだらかなのは東山(378m)である。いずれも5万年ほど前に、洞爺湖巨大カルデラの中央の湖底から噴火して出来た、溶岩ドームの頂上部分である。冬季をのぞいて、遊覧船で上陸、ゆっくりと樹木の観察をしながら、数時間で半周する、歩きやすいフットパスルートがある。遠くから眺めるのもよいが、島をゆっくり独りで、また仲間たちと歩く喜びもまた格別だ。

158 雪景色有珠山

有珠山 全山雪を頂いて、初冬の有珠山。外輪の上の大有珠のドームが良く見える。左手前のドームが昭和新山、頂上手前に東丸山、右手の外輪から続く斜面の下には明治新山(四十三山)、いずれも潜在ドームだ。ウメの紅葉が残り、カラマツの黄色い稜線の向こうの静かな佇まいを見せる有珠山。山眠る季節に入ったが、まどろんでいるのか覚醒の時期を選んでいるのか。

157 ツルリンドウ

ツルリンドウ 洞爺湖畔の閉鎖されたキャンプ場を歩いていたらツルリンドウの赤い実を見つけた。この時期、近くに生えたトクサに絡みながら、とてもよく目についた。この実はリンドウの仲間では珍しく液果で、中にはかわいい種子が10個ほど入っている。小さいが立派な果物だ。しかし味は無く、酒に漬ける人がいるという。この深紅の果実の意味はなんだ、うったえている相手は誰なのか。

156 キノコのマリネ

キノコのマリネ 今年は秋のキノコが遅れ、その分、この季節になっても食卓で充分に楽しめる。私にとってはマリネにするのが一番の楽しみ方だ。さっと茹で、塩と砂糖、穀物酢、イタリア風のハーブミックス、それとトウガラシの輪切り。画像のキノコはムラサキシメジ、ノボリリュウ、たっぷりとした大きさのはヤマドリタケ、つまりポルチーニ。赤いのは味と色でのアクセントのパプリカで、ベニテングではない。漬けて一週間、イグチのとろみが加わって、「アア、美味しい」。

155 霜枯れの中で

霜枯れの中で 朝日のあたらない土手の斜面に白く咲いていたキクの花。近くの庭から種が飛んだのか。ノブドウ、オオヨモギ、ヤブマメなどの身近な草たちが霜で白く縁どられ枯れ落ちてゆく中で、まだ凛として、咲くことをおのれの使命としてひたすら匂い立っている。栄枯衰勢、すべてが時間の流れに乗っているとは言いながら、この季節、この小さな花の強い意志に感嘆せざるをえない。

154 痩身のつわもの

オツネントンボ 天井のあたりをひらひら飛ぶものがいる。よく見るとオツネントンボだった。このところ冷え込んできたので、鉢植えを部屋に入れたがそれについて来たらしい。このトンボ、冬の氷点下-20℃を次の春まで持ちこたえる。このまま室内で過ごさせようかと一瞬考えたが、窓を開けて外へ追い出した。きっとどこかで春を迎えるだろう。つま楊枝にも満たない細身だがピンと伸びた翅と胴、そして何よりもこの決意を込めた眼を見ればそう確信できる。

153 激しい噴火があって

昭和新山 壮瞥町立香寄りからの昭和新山ドーム。紅葉が残る屋根山とその向こうの大有珠の岩塔も見える。この方角からの屋根山はひと際高く、その上に乗るドームは上の部分しか見えない。山頂がよく見えるようにこの山を一回りすると、この山が随分大きいことと、その山容の多様さに驚く。68年前、2年間に7つの火口を作り、17回の噴火を繰り返した昭和新山。あらためて噴火活動の凄まじさを思い直す。次の有珠山噴火はきっとまたやって来る。

152 ノラニンジン

ノラニンジン 霜を頂に載せ朝の日を受けるノラニンジンの枯れた花冠。放射冷却で冷え込んだ朝はこの通り、病葉も枯れ草もそれなりの白い花を咲かせている。夏、一面に咲き誇っていたノラニンジンの野面は、奇妙に丸まった散形花序のぼんぼりで埋まっていた。この形を何に例えようかと考えたがなかなか出てこない。自然が移ろってゆく過程で見せてくれる造形の妙味だ。