445  馬頭観世音

馬頭観世音有珠山の山頂、洞爺湖町の街並みを望む、道の駅「アプタ」の裏山に馬頭観音がたくさん並んだ小さな公苑がある。1805年江戸幕府直轄の官営牧場がこの付近から伊達市黄金に至るまでの広大な「牧」=牧場が作られた。その時馬の守護を願って作られたのが馬頭観音の碑。やがて松前藩の支配になって「有珠虻田牧」となった。 1822年(文政5年)3月12日、有珠山は地震発生後3日で山頂噴火となり、火砕流はこの付近を飲み込んだ。火砕流はアプタコタンを焼失させ、牧士の村田父子をはじめ死者82人、牧馬の斃死多数とこの地の海岸寄りの有珠善光寺の記録にある。ここには今に至るまでに建てられた使役馬、競馬などの馬の碑が多数集められている。さらに有珠山の2000年噴火の人々の避難生活の際死んだ「ペットの碑」も建てられている。

444  小さな入り江「ポンマ」

ポンマアイヌ語のポン・マ(=小さい・入江)に由来する地名。北海道に散在する「ポン・モイ」と同じなのだろう。まことに小さく穏やかな入り江だ。入り江から続く奥の平坦地には「ポンマ遺跡」がある。縄文の昔からここは人々が生活の場として使い続けてきた入り江だ。7~8千年前の有珠山の山体崩壊でできた流山地形がそのまま岬になり入り江となった。名づけて7千年入り江。数百m離れて有珠山からの豊富な伏流水も湧出していて、昔ならずとも、自然豊かで温暖なこの地に居を構えたくなる。目の前は豊饒の海。一世紀も前、もし私が放浪の身でここにたどり着いたら、きっと膝を打ってここに終の棲家としたであろう。身内のことを話せば、明治の初め、秋田を離れこのあたりに辿り着いた私の曾祖父はたまたまここを知らずに、静狩に腰を据え漁師となり、やがて網元となった。静狩もここに負けずにいいところだが。

443  霧を湛えた大鍋

霧の洞爺湖今日のこのあたりの気温は10℃。南にある高気圧から西へふきだした湿って暖かく、しかも弱い風が冷えた湖面で霧を作った。直径約10kmのカルデラ(スペイン語で大鍋)は霧で満たされ、弱く吹き寄せられて最も低い外壁の壮瞥滝の落ち口から溢れ出している。画面中央の左へ低くなる霧がそうだ。ここの下に洞爺湖からの唯一の流れだしの壮瞥滝があり、切通し(霧通し?)になっている。左上の昭和新山の噴気も暖気の中でか弱く見える。その向こうには似たような形の有珠山の山頂部。春の梅で知られる小春日和の壮瞥公園。あとひと月もすると雪景色となる

442  常緑のシダ、コタニワタリ

コタニワタリおよそシダらしくないシダで、単葉の裏には褐色で平行な線上の胞子嚢群が並んでいる。固い紙質で厚みのある葉は常緑で北国のイメージと結びつかない。7,500年前に有珠山が山体崩壊して噴火湾になだれ込み、流山地形は小島や半島になり、有珠湾を構成した。入り江を取り囲む林は海水の影響で極端な低温にはならず、このことがコタニワタリの生育を助けているのかもしれない。磯の香と漁網を干す臭気に包まれながら、形のそろった艶やかで見事な葉の群落にしばし見とれていた。有珠湾の入り江の海の生態系は北海道でも特異的に貴重な存在であるが、有珠善光寺付近の植生を含め、海の影響を受けた植物相もまた大切に保護されるべき自然であろう。

441  ハスカップのシロップ

ハスカップのシロップハスカップはアイヌ語由来小指の先ほどの小果実で、スイカズラ科の和名クロミノウグイスカグラ。シベリア,北海道の湿地に固有の灌木で、我が家の株は一大原産地の勇払原野、厚真(あつま)の庭師さんから入手したものだ。4株あって5月の半ば、まだ風が冷たいうちに白い花をつけ、ちょうどサクランボウのシーズンに重なって実を付ける。 シロップは水とグラニュー糖を等量で作りかなり甘く、計量カップ1杯の摘みたての実を入れて冷蔵し、時折撹拌すれば長く楽しめる。今回、季節外れに使ったのは7月末に摘み取って冷凍しておいたもの。美味しく甘酸っぱく、何よりも色がいい。ヨーグルトの上では洒落たマーブル模様を演出し、カクテルではどのリキュールとも合う。二色のアイスクリームのトッピングなど格別で、そうだ、付け合わせのビスコッティを作ろう。

 

440  野武士と菫

サケとスミレ

伊達紋別付近の海岸で釣り上げたという二匹のサケはそれはもう見事なものだった。70㎝を優に超す成熟したオス鮭で、少しブナがかかってはいるが精悍な野生の風貌だ。湾曲した牙は猛き血の色、小さな漆黒の瞳はひたむきな情熱の証し、おぬしは海の野伏せりだ。 芝生に続く敷石にドテッと置いたら、丁度そこには遅れ咲きのスミレが一つ咲いていて、海と庭の晩秋の奇妙な組み合わせが意外によく似合った。袖すりあうも多生の縁か。こうやって季節と命はないまぜとなって廻り、次の春へと引き継がれる。

 

439  オンコの実

オンコの実秋が深くなりすべてが色褪せてゆく中でイチイだけは健在で、葉は深緑に実はいよいよ紅くみえる。実を口に含むとネットリ、ツルリと甘みが広がる。種子だけは苦いし有毒成分を含むので飲み込まない。北の地のこの季節の恩恵で、通りすがり、他人の生け垣であってもついつい一ついただいてしまう。どういう訳かこのイチイの樹をオンコという。アイヌ語では「クネニ(弓・になる・木)」だという。太古の昔からヒトはこの実の甘さを身近に味わったのであろう。舌の上でつるりと甘いたびに気持ちだけはいにしえ人になる。

438  身近だった

ヤマブドウ初雪が風とともにやって来ると、秋を彩っていた葉が一気に落ちる。明るくなった林を足音とともに歩く。いちばんの贅沢だ。梢から落たヤマブドウの小さな房が見つかった。新鮮で白い粉が付き、天然の酵母も一緒なのだろう。見上げるといくつもぶら下がっているが、あわてて採ることもあるまい。昔、老人が種ごとカリカリと食べていたのを思い出した。上出来ではなかったが、昔はこれで素朴なワインを作った。アイヌ語では「hat=ハッ」というそうだ。

437  グミ X グミ

グミのグミアキグミは陽のあたる痩せ地に生える潅木だ。昭和新山の麓から、今では頂上にまで進出している。小指の先ほどの実が味の特徴を失いもせずたわわに実る。夏の干天を煮詰めたような濃い臙脂色の実が季節を遅れてご登場。 「グミでシロップを作ったのですが」と知り合いがコップに持って来てくれた。深く紅い色を見た瞬間「そうだ、グミを作ろう」と考えた。ゼラチンを多めに入れて熱を加え、水飴とレモン汁で味を調えて、チョコレート型に流し込んで完成。

436  綴れ織り

洞爺湖中島西山洞爺湖中島の博物館桟橋に近づくと、西山が指呼の間に望める。大気は澄み山肌に陽が当って、その色合いは上等の綴れ織りのようにみえる。草木の色は変容し補い強調し合って厚みを増してゆく。綴れ織りはエジプト、中国、西洋、そして日本でも自然発生的に誕生したといわれる。自然が持つ形や色彩の多様性が、人の感性をより豊かなものとした。真摯に自然と向かい合った指先が豊かな文化を生み出した。