293 秋味

シロザケ「この近くの浜で、今朝、釣ったのですが」と立派な鮭を頂いた。体長75cmの上物で、「ぶな」もさほどかかっておらず、遡上前の極上品だ。何といっても、成熟した腹子が見事。有難い。三枚にした上身は塩で絞めて干し、スモークかな。筋子は塩と醤油で漬け込んだ。この地では鮭のことを「アキアジ」というが、これこそ旬の味、「身土不二、三里四方を食す」だ。

292 空蟬

エゾゼミ秋の陽をうけ緋色に輝くツタウルシに、エゾゼミの抜け殻が雨と風の中、落ちもせずしがみ付いた。暑かったこの夏のいのちの名残り。現人(うつしおみ)が転じて「うつそみ」となったというが、言の葉は生きもの蝉の抜け殻と結びついたあたり、たまゆらの時の流れをしみじみ感じる。夏の朝、薄衣一枚を残して17歳の光源氏の前から姿を消した空蝉は、自らの矜持を捨てはしなかった。

291 綴れ錦の

洞爺湖中島洞爺湖中島へ出かけた。エゾシカの食害で林床の植生はいたって貧弱だが、それでも人手がほとんど入っていない樹冠の色の贅沢さがここにある。博物館桟橋の向こうに見える西山、それぞれの樹種が異なる色で秋を迎えている。エゾ、トド、ストローブマツの濃緑、カツラ、カンバ、ハリギリの鬱金色、そしてミズナラ、トチノキの代赭色。一枚仕立ての綴れ織り。出かけて見なければわからない豪奢そのもの、錦繍の秋。

290 落暉残照

ギボウシこの夏の強かった日差しを耐えて、権勢をふるっていたギボウシも、此の処の朝夕の冷えと冷たい雨にあたって、一気に色づき始めた。墜ち行く者の光芒、枯れ行く前の高揚がそこにある。ギボウシは「擬宝珠」。日本の品種はシーボルトによってヨーロッパに伝えられ多くの園芸種となり、ホスタと名を変えて再渡来した。若葉の生命感もいい、派手すぎない花もいい。しかし、この透明な琥珀色は命が昇華する色だ。

 

289 黄金色の香り

マルメロマルメロが生った。一昨年苗木を2品種植えて、今年2本の樹で4個の収穫だ。やっと香りが出始め、収穫まであと1、2週。脳髄にじわっと浸みてくる甘い香りが待ち遠しい。原産の中東諸国には沢山のレシピがある。その名から出たというマーマレード、つまりジャムを作るつもりの栽培だ。ペクチンを充分に含んでいるから、そのとろみを凝縮させて砂糖をまぶしたゼリー菓子Marmeladaもいいね。

288 ドロノキの白

ドロノキ有珠山山頂を遠くに見て昭和新山の斜面と麓に生育するドロノキ。よく晴れた秋の陽を受けて葉を落とした幹の白さが良く目立つ。パークゴルフを楽しむ人影と比較すると樹に大きさが分かる。昭和新山が噴火し、70年も経つとこのような林となる。ブログ287の裏側の風景。

287 昭和新山、秋時雨

昭和新山のドロノキ葉を落としたドロノキが昭和新山の斜面に白く広がっています。70年前、噴火で植生がリセットされた斜面にパイオニアツリーとして最初に生育した樹です。綿毛に包まれた微小な種子はその年の内に発芽し、森の主要メンバーになりました。ドロノキは秋、最初に落葉します。「順次開葉型」のこの樹は一番新しい葉を残して、被陰された葉はすでに落葉してしまいました。ドロノキの存在量を見るのに良い季節です。

286 命を繋ぐ海

夕日をうけて西風の強い室蘭、崎守の岬。夕陽に染まる海にカモメが飛び交う。風が吹くとここの海は何時もこうだ。海は荒れる、カモメは風に浮く。ごく当たり前の情景だ。カモメはカモメ、海はいつもの海。日常慣れし、安泰化した私の眼だけが違う。人とすぐ隣にあった野性とのかかわりはこうではなかったのか。猛る自然の中でこそ私たちの命も存在していたはずだ。

285 名残りの白菊

コハマギクコハマギク。削られ、埋め立てられて、有無を言わさず作った漁港の、分厚いコンクリートと鉄錆の隙間に咲いていた。室蘭の外海に面したあの懐かしい追直(おいなおし)の浜は消えてしまった。沖合にあったニラス岩は防波堤の続きとなり、あれだけ広かった砂浜は砂粒一つ残っていない。昔、海草研究所のあった崖のあたりで、弱い夕陽を受けている一群のコハマギクを見つけた。懐かしさと侘しさが滲んだ白だ。

284 流木に乗って

フナクイムシ室蘭イタンキ浜。ハマエンドウの繁みの中に流木が見つかった。何処からやって来たのか材は見事にフナクイムシ(shipworm)に喰われている。ひとつの穴に1個体ずつ、二枚貝のフナクイムシがセルロースを食べながら棲みついた痕跡だ。掘り進みながら石灰質の内張りを作る。まさしくトンネルのシールド工法。ここの海岸には軟らかい岩石に穿孔するカモメガイも生息している。