旧洞爺湖幼稚園の傾いたプールにも春がやってきた。エゾアカガエルの卵塊がいくつも浮かび、もう泳ぎだしているのも見つかる。ジオパーク関連の会議を終えて皆で繰り出した。ここは有珠山2000年噴火の遺構で、火山と生活を考える、格好のジオサイトだ。600m先の噴火口からの噴石が、遊具のパイプを曲げ、園舎の壁に突き刺さり、インパクトクレーターを園庭のあちこちにつくった。このプール、誰かがクリノメーターをあてたら、7度の傾斜角が出た。
月別アーカイブ: 2012年4月
74 春の朝に
73 世にはばかる
72 擦痕面
71 春嶺
70 大伽藍
69 北帰行
68 海蝕洞
室蘭の絵鞆半島の太平洋側には100mを超す切り立った断崖が随所にある。岩礁には潮上帯から潮下帯まで豊かな生物群集が見られ、特に潮間帯の群集は北太平洋を特徴付ける実に見事な生態系を形成している。この海は生物地理学上かけがえのない要衝の地なのだ。白い断崖はかつての海底火山の噴出物だ。その下部にはいくつもの奥深い海蝕洞が口をあけている。
室蘭市はあまり海岸の素晴らしさには眼を向けていないようだ。祖先が残してくれたイタンキからエンルムエトモまで緑なすミズナラで覆われていた丘陵や山は削られ、あれよの間に防波堤が沖まで伸び、岬や小さな入り江は埋め立てられてしまった。この街が誇りとし拠って立つところは、岬に囲まれた小さく豊かな入江と、生きものたちが安らげる自然のままの海しかないのだが。
67 ワレカラ
食膳の皿の上で、「ワレカラ」に出会った。この季節のありがたい御到来物のホタテの稚貝を茹でたら、混じっていたムラサキイガイと一緒の御登場と相成った。ワレカラは甲殻類で膨大な種群を持ちワレカラ科を構成する。砂浜でとび跳ねるヨコエビと近縁である。海藻や定置網、ホタテ養殖の籠に群がって生活している。極端に進化・退化した形態で、言うなれば昆虫のナナフシのようにそれぞれのパーツが特殊化している。ポパイのような腕もある。つぶらな眼もある。もちろん食べられるし、佃煮にすると美味しいはずだ。アミのように。
清少納言の枕草子、第41段 「虫は 鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。・・・」とある。高校の古文の時間に習ったのを思い出した。調べ直したら、まさしく生きもののワレカラ。清少納言の「われから」は藻塩や海藻の乾物からの由来だったのだろう。よく知られた段の中で、趣がある日常の虫の一つとして顔を出している。ワレカラをよく目にする生活が平安の時代にはあったのだろう。雅な和歌中心の時代に、さらりと随筆風に登場させる感性とその文章はじつにリズミカルな今風で、1000年前のものとは思えない。その後も、この奇妙な生き物は新古今和歌集などいくつかの書物に、御目見得している。昔の人は自然そのものをよく見ていた。そのあたりぜひ少納言にお会いして、「われから」の話?など、夜の明けるまでしてみたいが、残念ながらそのような才覚は私には無い。「いとすさまじ」などと書かれておしまい。却下。