75 傾いたプール

傾いたプール 旧洞爺湖幼稚園の傾いたプールにも春がやってきた。エゾアカガエルの卵塊がいくつも浮かび、もう泳ぎだしているのも見つかる。ジオパーク関連の会議を終えて皆で繰り出した。ここは有珠山2000年噴火の遺構で、火山と生活を考える、格好のジオサイトだ。600m先の噴火口からの噴石が、遊具のパイプを曲げ、園舎の壁に突き刺さり、インパクトクレーターを園庭のあちこちにつくった。このプール、誰かがクリノメーターをあてたら、7度の傾斜角が出た。

74 春の朝に

エゾリス 昭和新山を迂回するドンコロ山の下り坂、エゾリスが死んでいた。二十分ほど前のある瞬間の出来事だよと、ミヤマカケスが騒いで触れまわっている。厳しい冬をやっと乗り切ったやわらかな朝なのに。   私の片手に余る大きさで、ずっしり重い体。藪に置いてやろうと思ったがここはノスリのホームレンジだし、抱卵中のハシブトガラスの巣もあるようだ。道の脇に寄せて、彼の身体を春の生命たちの成行きに託すことにした。

73 世にはばかる

アメリカオニザミ アメリカオニアザミ、鬼がついている。昭和新山の日当たりのよい斜面のロゼット葉。地上部分は全草硬く長いとげだらけでエゾシカも食べない。いったん野生に広がって繁殖してしまった生物は退治するのは不可能だ。退治に金を使わず諦めるのが精神的にも良い。何とか食べてしまうなり生活に活用するのが最も健全だ。不味くはなさそうだが棘が問題だ。この憎まれっ子どうしよう。

72 擦痕面

擦痕 昭和新山の溶岩ドームの東測面に滑面を見つけた(写真中央)。昭和新山では激しい噴火活動の後期、1944年末あたりから溶岩ドームが上昇し始めた。土壌は熱により変性して煉瓦のようになり、ドームの成長につられて、擦痕を伴って滑り面をつくった。写真右側のブロックが右上(頂上方向)へせりあがったように見える。現在、間近に見られるのはここだけだという。

71 春嶺

有珠山 ひと雨ごとに大気は軟らかくなり、南東の風も入って、有珠山は雪解(ゆきげ)の時を迎えました。硬い芽も膨らんで、待ちに待った芽吹きの季節です。畑が少し乾くと、機械が黒い土を起こし始めます。今は一息をついている火山、有珠山の麓での農家の生活の始まりです。初チョウ、初ヒバリもこの一週の間に見つけました。一気に春本番へとなだれ込みます。

70 大伽藍

凝灰岩の崖 室蘭絵鞆半島の所々、イタンキ、トッカリショ、タンネシラル、チヌイェピラなどにこの白い断崖が顔を出す。新第3紀中新世に海底火山から噴出した堆積物で、成層の灰白色の部分は凝灰岩、灰色は安山岩の砕屑層だという(北海道地質百選・田近氏)。帯状の黒っぽい部分は火砕岩塊だが、詳細は不明だ。この崖はまだ人の手がついてはおらずウミウたちの聖域となっている。

69 北帰行

ハクチョウ ハクチョウの群れが行く。毎年、リンゴとサクランボの剪定作業をしながら脚立の上から見送る。啼き交わす声は遥か遠くから、姿も見えない向こうから聞こえてくる。猟犬の群れが獲物を追うような声だ。今日は午前中に四群。首を磁石の針のように北へ向け、精一杯に伸ばし何一つ躊躇することなくひたすら頭の上を通り過ぎてゆく。私だけが取り残されてしまう。連れて行ってくれ。

68 海蝕洞

海蝕洞 室蘭の絵鞆半島の太平洋側には100mを超す切り立った断崖が随所にある。岩礁には潮上帯から潮下帯まで豊かな生物群集が見られ、特に潮間帯の群集は北太平洋を特徴付ける実に見事な生態系を形成している。この海は生物地理学上かけがえのない要衝の地なのだ。白い断崖はかつての海底火山の噴出物だ。その下部にはいくつもの奥深い海蝕洞が口をあけている。

海蝕洞Ⅱ 室蘭市はあまり海岸の素晴らしさには眼を向けていないようだ。祖先が残してくれたイタンキからエンルムエトモまで緑なすミズナラで覆われていた丘陵や山は削られ、あれよの間に防波堤が沖まで伸び、岬や小さな入り江は埋め立てられてしまった。この街が誇りとし拠って立つところは、岬に囲まれた小さく豊かな入江と、生きものたちが安らげる自然のままの海しかないのだが。

67 ワレカラ

ワレカラ 食膳の皿の上で、「ワレカラ」に出会った。この季節のありがたい御到来物のホタテの稚貝を茹でたら、混じっていたムラサキイガイと一緒の御登場と相成った。ワレカラは甲殻類で膨大な種群を持ちワレカラ科を構成する。砂浜でとび跳ねるヨコエビと近縁である。海藻や定置網、ホタテ養殖の籠に群がって生活している。極端に進化・退化した形態で、言うなれば昆虫のナナフシのようにそれぞれのパーツが特殊化している。ポパイのような腕もある。つぶらな眼もある。もちろん食べられるし、佃煮にすると美味しいはずだ。アミのように。

 清少納言の枕草子、第41段 「虫は 鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。・・・」とある。高校の古文の時間に習ったのを思い出した。調べ直したら、まさしく生きもののワレカラ。清少納言の「われから」は藻塩や海藻の乾物からの由来だったのだろう。よく知られた段の中で、趣がある日常の虫の一つとして顔を出している。ワレカラをよく目にする生活が平安の時代にはあったのだろう。雅な和歌中心の時代に、さらりと随筆風に登場させる感性とその文章はじつにリズミカルな今風で、1000年前のものとは思えない。その後も、この奇妙な生き物は新古今和歌集などいくつかの書物に、御目見得している。昔の人は自然そのものをよく見ていた。そのあたりぜひ少納言にお会いして、「われから」の話?など、夜の明けるまでしてみたいが、残念ながらそのような才覚は私には無い。「いとすさまじ」などと書かれておしまい。却下。

66 飯鮓

飯鮓 飯鮓が出来上がりました。色鮮やかに熟成しています。表面にはヤマメ、紅い身はヤマメの親のサクラマスと紅鮭。ブログ「27」「62」に経過が載っています。飯と魚と野菜と麹と塩、これらが混然一体となって乳酸発酵して食の膳に現れる。これぞ米食う文化の神髄というもの。まず漬かった魚が旨い。どこか上出来のブリーチーズの味に似ている。そして野菜、これがまた旨いのだ。