544  霧の向こうに

銀沼火口有珠山ロープウェイ山頂駅から10分歩くと丘が火口展望台。お客さんを案内して、今日の火口は霧の中と思った瞬間、本命の銀沼火口に陽が当たって明るく輝き、1分もしないうちに霧に閉ざされました。霧の日は幕間にこのような演出も見せてくれます。

542  トカゲはトカゲ

ヒガシニホントカゲニホントカゲ Plestiodon japonicus と思っていたけれど、2012年からヒガシニホントカゲ Plestiodon finitimus となったという。ロシア沿海州のも同種。finitimus 、羅和辞書では「隣り合った」「血縁の」となっている。ニホントカゲの種名をもらったオカダトカゲP. latiscutatus も含め、地理・時間・遺伝的系統も加味されてのややこしい話しだ。シッポの青い青二才。ひょっとすると妊娠中?の二才雌か。

541  外部感覚

オニグモ老眼の眼にはこのいきものの細部は見えないし、実体顕微鏡でどうのというほどの間柄ではない。だがこうやって画像でつくずく見ているとなぜか溜息が出る。この生き物のことを私は何も知らない。身体や生活の在り方は研究書を読めばわかる。しかし私が知りたいのは、このオニグモが外部世界から何を感じとり、何を生きがいにしているかということだ。この太ったクモのいのちの内景を知りたい。全身感覚毛。

540  渋さの記憶

トチノキ子どもの頃、胃腸薬だと大人たちが言っていた。食糧難だったがトチを食べる話はなかった。聞き書き「北海道の食事」「アイヌの食事」(農文協)にも載っていないから一般的ではなく、救荒食としての言い伝えくらいだったのだろう。サポニン、アロインを含んでいて苦味が強い。東北地方までは複雑なあく抜きの方法と食品が伝えられている。北海道開拓の人たちはまどろっこしい手順を踏む余裕も無かったのだろう。

539  今年のワタシ

ニホンアマガエル去年はどうだったのか知らないけれど、今年はワタシがここにいる。ここのアルジはワタシだ。ナニか。 毎年のことだが、人気の高い庭の「ハマユウ荘」。太い一株の葉の隙間を棲家にしているニホンアマガエルは4匹。こいつが一番大きく、次は灰色あばたであとは緑の小さいの。鳴き声は葉で反響するし雨水は溜まるし、だいいち踏みつけられることもない。白い花が咲いているので小さな虫たちもやってくる。

538  たくましく可憐

ヒロハヒルガオ伊達港のテトラポッドの隙間に純白の花を見つけた。五枚の蕚を包む苞葉がとても大きく、葉もまた大きいので Calystegia sepium  ヒロハヒルガオと同定した。日本のヒルガオ C. japonica にも似ている。セイヨウヒルガオ  C. arvensis ではなかった。英国の図鑑では  Larger Bindweed と書かれている。Great Bindweed という種 C. silvatica もあって、さらに大きな花を付けるという。

乾燥地、荒れ地どころか肥沃地にも、海水の飛沫がかかるような極端な土壌にも盛大な根を張り、強い生命力で子孫を増やす。ヨーロッパ原産だが、今では世界中に進出中だ。花はこの通り清楚で可憐。Sepium は垣根の意だというが、もはや生き物たちに垣根や国境はなくなったようだ。

537  蜜の味

クロクサアリギボウシの花から落ちた甘い水が葉に溜まっていて、黒い小さなアリが集まっている。このアリはクロクサアリ。甘いものに目がないアリで、仲間のフェロモン情報をたどって、列をなして目的に行き着く習性を持っている。それぞれの個体間の会話がわかるような配列で、こちらの心も引き込まれてしまう。何を囁き合っているのだ。

「A Taste Of Honey」。”I will return, yes I will return”  Barbra Streisandの甘い声を思い出す。He will return He’ll come back for the honey and me。

536  我が家の塩梅(あんばい)

梅しごと我が家の梅に10㎏の実がついて、関東よりひと月遅れの梅しごと。仲洞爺の豆腐屋から買う1.5kgのシャークベイ天日塩、10㎏の重石で漬けこむ。容器は常滑焼の甕18リットル入り。梅酢が上がったら底の濃い塩水を通した竹筒で数回天地返し。濃度を均一にすると上面も塩が効く。ひと月後3日間日に干して味のグレードアップ。半乾きでほんのり飴色になって確実に旨みを増す。北海道は気温が低いから低塩分漬物大国だ。

535  グミ・茱萸・胡頽子

グミ農家の庭先で見つけたグミ。今はもう口にする子供もなく、年寄りの思い出だけの果物になってしまった。渋い味はタンニンが含まれるからで、顆粒の付いた果皮やきれいな色と相まって、小粒ながら存在感がある。「ぐみ」は大和言葉由来だそうで、漢字の茱萸や胡頽子はいわくありげだが、今では意味を持たなくなった。「昔は食べたらしい」という時代が間もなく来るだろう。