696 昭和新山秋深し 投稿日時: 2016年10月31日 投稿者: nizaemon 晩秋の落葉樹林。カエデ類も華やかだが、この時期最も目を惹くのがミズナラの黄葉だ。大きく厚い葉はすこし照り葉で、華麗で重厚。明るい黄土色から鬱金色、臙脂、べんがら色。まだ緑が抜けきらないオリーブ色まで揃っている。新緑の季節に感じる高揚感はないが、この綴れ錦の林に分け入ると、心の緊張感が解きほぐされる。気温が下がって噴気が白い。この辺りの初雪は11月初め。この山の季節はまだ続く。
695 昭和へ続く道 投稿日時: 2016年10月30日 投稿者: nizaemon 壮瞥町から伊達市へ南西に延びる道はこの先途切れている。昭和18年(1943)に地震が翌19年(1944)に噴火が始まり、正面の昭和新山となった。激しい噴火の後屋根山ができ、この先600mに在ったフカバ集落は向かって左へ100m以上押し出され、数十m持ち上げられた。今、急斜面の林の中にコンクリート片が残るだけである。かつてのメインストリート。あれから70余年経った。
694 母恋富士 投稿日時: 2016年10月30日 投稿者: nizaemon 土地が無ければ海埋めろ、出ているところは削って使え。環境の多様性や豊かなランドスケープを残すなどとはほど遠い発想で、豊かだった地形は時代と共に変えられた。乱暴な話だ。母恋富士は室蘭層をつき抜いた安山岩の岩脈だというが火山ではない。採石されて姿を変え、まるで噴火口が開いているようだ。港からの素敵なランドマークだった母恋富士。富士の名前が泣いている。
693 金糸瓜 投稿日時: 2016年10月28日 投稿者: nizaemon 近くの知り合いから頂いた黄色い瓜。ずっと以前、幾度か食べたことがある別名「糸カボチャ」。輪切りにして10分も茹でるとサラサラっと解けてくる。いと面妖な(糸麺様な)代物だが、その名の通り淡い金色で歯触りが良い。地方により食べ方いろいろの知られた食材だ。付け合わせやドレッシングを考えると、今様な食卓の一品へと楽しい発想が湧いて出る。ごちそうさま。
692 秘密の抜け道 投稿日時: 2016年10月21日 投稿者: nizaemon 壮瞥町新山沼から昭和新山へ向かう町道第2線からの抜け道。台風10号の倒木でこの道も数日通ることはできなかった。カラマツの樹幹の損壊はないものの、枝が払われて明るい森となってしまった。見上げると薄日にツルアジサイの黄葉が柔らかい。めったに人に出会わないが、この道は古くからの道なので良く管理されていて、丁寧な整備が感じられる。心地よい秘密の抜け道。
691 昭和新山70年 投稿日時: 2016年10月21日 投稿者: nizaemon 昭和19年に噴火して、70年たった。「昭和新山」も70歳。秋になり麓から紅葉が始まった。噴火後、パイオニアとして芽吹いたドロノキはすでに葉を落としていて、林内の次世代のミズナラ、ハリギリ、ミズキ、カエデ類が色を付けての揃い踏み。寿命の短いドロノキはあと30年もすると倒れてゆき世代を交代してゆく。
690 擬宝珠 投稿日時: 2016年10月21日 投稿者: nizaemon このギボウシはこの土地在来のもので、旧蟠渓小学校にあったものを管理者に断って株分けさせてもらった、今はやりの「ホスタ」類と違い夏の暑さにもめっぽう強く、この時期にはいつも黄金色に輝いて目を楽しませてくれる。緑から金色へのグラデーションが何ともすばらしい。まさしく宝珠と見紛うばかりの擬宝珠だ。
689 イチイの実 投稿日時: 2016年10月15日 投稿者: nizaemon Taxus cuspidata。羅和辞書で Taxus はイチイ、cuspidata は槍や棘で、葉のことか。古来よく知られた植物だったのだろう。種子に強い毒(タキシン taxine )が含まれることは知られているが、漿果の色とぬるりとした感触に郷愁を感じ「オンコの実」をつい口に含む。ほの甘くほろ苦く、ペッと種を吐きだす。あれは子どもの頃の赤い夕陽の思い出。何処だったか忘れてしまった。
688 ヘーゼルナッツ収穫 投稿日時: 2016年10月8日 投稿者: nizaemon 苗を買って植えてから8年(ブログ665、626)。やっと色づいて落ちたのを籠に集めて驚いた。二品種4本を意図的に植えたがこんなに形状が違うとは。調べたら写真左下がフィルバート種のようで約90個、右下が通常のヘーゼルナッツで140個ほどの収穫。日当たりの良い方の二本分の収量だ。実の大きさも、葉も違う。思いがけなく二品種を味わえるなんて、嬉しくってしようがない。
687 前方後円墳 投稿日時: 2016年10月5日 投稿者: nizaemon 山梨県にある4世紀後半に造られた全長169mの東日本最大級の前方後円墳、銚子塚古墳。北海道では続縄文期に当たる。後円部の石室へと続く回廊にあたる前方の上に立つ。前方後円墳は視覚に訴え、人の心を揺さぶるための構築物であるという。当初、墳丘には樹はなく、すべて枕大の墓石で蓋われ、さらに大型の埴輪で囲まれていたとも。登ってみてこそわかる圧倒的な迫力。