13 だみ声ガラス

だみ声ガラス 私はカラス。冬ガラス。精一杯、濁声を張り上げて、騒ぎ立てるのがやっとのこと。冬はいたずらしません。 どうですこのカラス、重心を低く移し、腹筋を使って、喉を膨らませ、演歌ですよね、このポーズ。有珠山相手に唄っています。嘴と頭を低くした姿勢から見るとハシボソガラスに見えるけれど、ハシブトガラスでしょう。 「♪俺は~ フ~ライ坊の~ォ カラスだ~ゼィ~♪」

 

12 いよっ!十三男爵

メークイン( May Queen)と男爵(Baron)のお揃いのカップル。ジャガイモ界の正統派。  寒くなりました。これからの季節、イモ好きにはたまりませんね。北海道では、いま20種類を超すジャガイモが作られているのだそうです。ジャガイモは茎が塊状に太ったもので、眼(芽)が順番に並んでいます。川田男爵に会ったことはないけれど、 私の大好きだった伊丹十三映画監督は、よっぽどジャガイモ好きだったようで、マーナ・デイビス夫人のすばらしい訳本をこの世に残してくれました。私の宝物となっています。Pigs In Blankets(毛布の中の豚)、ポテト入り Flowerpot Bread(植木鉢で焼くパン)、はては Anya’s Tatra Poteto Pudding (アニヤ式ポテトプディングタトラ風) など、わけのわからない料理―しかしレシピをよく見るとこれもひときわ美味しそう― まで、洒落たレシピがたくさん載っていて、くいしん坊を十三ワールドへといざなってくれます。  家の地下室には大袋に入った洞爺火砕流台地産ジャガイモがたっぷりとひと冬分有ります。今晩は冬の嵐、風の音を聞きながら十三レシピのイモ料理でも作るか。ポテトブック

 

11 ジオパークリンゴ オールスターキャスト

リンゴオールスターキャスト去年のちょうど今の頃、雪まじりの寒い日にこの絵ハガキを作りました。壮瞥のリンゴ園を回ってかき集めた種類が21種類。でも、肝心の「ほくと」が抜けていたのです。「ほくと」とは北斗七星のこと。昨日、洞爺湖畔のリンゴ園で見つけ、22種類がそろいました。まだまだ、秘蔵のリンゴを育てているリンゴ農家があるのでしょうが、私にとっては「壮瞥ってすごいな~」です。これぞ、北のジオパークの「大地の力」です。

10 花のような

アズキナシの実今がちょうど見ごろ。澄み切った空を背に、または初雪の上に浮きたって、その名はアズキナシ。小豆に似た赤い実とナシの花を思わせる白い花弁。ナナカマドと同じ属。どちらも生活感のある名前で、昔から身近にあった樹木だったのでしょう。この秋は洞爺湖温泉から壮瞥滝の間の湖畔に沿って幾本も見つけました。気がつくと、ドンコロ山のスコリア斜面にもたくさん有りました。来年の花の時期が楽しみです。

9 感謝をこめて

晩秋の昭和新山晩秋の昭和新山です。今年もこの山でよい思い出を残すことが出来ました。小さいけれど奥行きのある山と感じた一年でした。 春には足もとのフキノトウやウドを避けながら、頭上にハヤブサの威嚇を聞きました。夏の日は修学旅行の生徒らの勢いに負けずに何とか先頭をつとめ、この山について多くの真実を語ることが出来ました。9月の秋ははアキグミの実の茜色から始まりました。 今、北西の風が吹きつける時期になり、昭和新山はいままさに眠りにつこうとしています。

8 豊饒の時

新山沼新山沼の紹介です。昭和新山の誕生時、激しい噴火と隆起のなかで、壮瞥川は行く手を絶たれ沼地となりました。町民の手で新しい水路が作られ、この新山沼が残されました。写真奥は隆起した昭和新山の屋根山、右奥、遠くに見えるのが、有珠山山頂(733m)。白く光るドロノキ、水面のアシ、ガマ、水中の多様な生き物たち。冬には多くのガン、カモ類がやってきます。満ち足りた時間が流れます。

7 あと50年もすると

新山沼のドロノキ林新山沼周辺のカラマツがきれいに色付きました。その手前、早くに葉を落とし白い木肌が美しいドロノキの林がひときわ白く光っています。昭和新山が誕生して68年、麓にはみごとに樹高、樹齢がそろった林が形成されました。林の中ではミズナラ、クリ、ニセアカシア、ミズキなどの次の世代が成長しています。ドロノキの寿命は120年くらいで一代限り。毎年の四季の繰り返しの中で風景は変わってゆきます。

6 弥次郎兵衛

ヤジロベエ fig壮瞥町の児童館で春、夏に続いての三回目の森の観察会を行った。つまり裏山で遊ぼうというのだ。裏はすぐに農地で、その続きが山になっていて、さらにその先が洞爺湖や有珠山の見える山の上の壮瞥公園だ。典型的な里山である。春は光の中で草花遊びで楽しみ、夏はトドマツの暗い森の中で、みんなで妖精になって遊んだ。秋は樹の実で遊ぼうと思い、クリで「やじろべえ」を作った。クリはこの山のもの、タケヒゴは焼き鳥の串。5分もあれば完成だ。これは受けた。文句なしに子供がわいた。目が輝いた。机の角ででも、指先ででも決して落ちず、ゆっくりゆらりゆらり。こんな遊びならたくさん知っている。子どもたちと森で遊べるなんて、やったね!

森の妖精 この森でたくさんの森の妖精たちと一緒に遊びました。小さな妖精たちはみどりいろのアロマに包まれて走り回りまわります。なめらかなトドマツの幹に隠れ、苔で満たされた窪みに屈み、キノコを見つけ、鳥の声を真似ました。彼らは早口で妖精語を話します。私もその時は理解できたのですが、その声はすぐに森の奥のうす闇の中に消えていってしまい、もう覚えてはいません。

5 「そばぐり」を集めて

ブナ最後の氷期の寒さで姿を一時的に北日本から消したクリやブナは、縄文時代に入って約6.000年前に北海道に再上陸したと考えられています。ブナにかぎって言えば、今の黒松内低地までさらに北上したのは350年ほど前のことだというから、北海道南部といえどもブナの繁殖に適した土地ではなかったらしい。クリの方はその点、縄文人に受けが良かったらしく、3.500年前ころには札幌低地まで生活域を広げてしまったという。大島直行先生は「縄文人たちはそんなにクリを食べてはいなかったはずだ」と言っているが、、。 ブナの実は小さくシイの実を三稜持つ形に潰したみたいで、地方によっては「そば栗」という。拾い集めるのはなかなか大変。でも命にかかわる食べ物のこと、そこにあれば一生懸命集めます。特に子供などには適した仕事だったはずだ。そのあたり五千年前の長閑な小春日和、どうだったのだろう。

ブナの堅果思い立って洞爺湖の向こう岸、仲洞爺の直径70cmはあるブナの大木を訪ねた。白さび模様の引き締まった胴をピタピタと叩いてみた。堅いようでどこかやさしく、冷たいけど血が通っているような命そのものを感じる。 「実生が育たなくってネ」と持主は言う。一本だけ若木が育っているので見るようにという。根の周り一面に敷きつめられた、形の良いオーカー色の葉をかき分けるとたくさんの実が散らばっている。小さく滑っこい実は、大人の指先には似合わないなと思った。子どもの小さな手、一握り分を見つくろって数えてみたら24粒。白い身が入っていてクリの味がするとものの本に書いてある。 食べてみようと思い殻を開けてみたら、空だった。すべて空だった。「充実」していない。こんなこともあるのだ。物事ってすべてこうだ。やってみなければわからない。

 

4 時の流れに

エゾサンショウウオはるか昔、魚類の鰭が足となり、陸上の王者爬虫類へと進化する過程のまま、水中と陸上の環境を必要とする両棲類。その名はエゾサンショウウオ。 居たか、こいつめ。探したよっ。明治新山の火口探索会で参加者が見つけてくれました。いくつかの火口跡に水がたまっていて、そこでの繁殖なのだろう。噴火後101年たつと、ここまで自然が復活していました。4億年前の体つきのままに、その眼に映るのは流れる雲か?