私はカラス。冬ガラス。精一杯、濁声を張り上げて、騒ぎ立てるのがやっとのこと。冬はいたずらしません。 どうですこのカラス、重心を低く移し、腹筋を使って、喉を膨らませ、演歌ですよね、このポーズ。有珠山相手に唄っています。嘴と頭を低くした姿勢から見るとハシボソガラスに見えるけれど、ハシブトガラスでしょう。 「♪俺は~ フ~ライ坊の~ォ カラスだ~ゼィ~♪」
メークイン( May Queen)と男爵(Baron)のお揃いのカップル。ジャガイモ界の正統派。 寒くなりました。これからの季節、イモ好きにはたまりませんね。北海道では、いま20種類を超すジャガイモが作られているのだそうです。ジャガイモは茎が塊状に太ったもので、眼(芽)が順番に並んでいます。川田男爵に会ったことはないけれど、 私の大好きだった伊丹十三映画監督は、よっぽどジャガイモ好きだったようで、マーナ・デイビス夫人のすばらしい訳本をこの世に残してくれました。私の宝物となっています。Pigs In Blankets(毛布の中の豚)、ポテト入り Flowerpot Bread(植木鉢で焼くパン)、はては Anya’s Tatra Poteto Pudding (アニヤ式ポテトプディングタトラ風) など、わけのわからない料理―しかしレシピをよく見るとこれもひときわ美味しそう― まで、洒落たレシピがたくさん載っていて、くいしん坊を十三ワールドへといざなってくれます。 家の地下室には大袋に入った洞爺火砕流台地産ジャガイモがたっぷりとひと冬分有ります。今晩は冬の嵐、風の音を聞きながら十三レシピのイモ料理でも作るか。
壮瞥町の児童館で春、夏に続いての三回目の森の観察会を行った。つまり裏山で遊ぼうというのだ。裏はすぐに農地で、その続きが山になっていて、さらにその先が洞爺湖や有珠山の見える山の上の壮瞥公園だ。典型的な里山である。春は光の中で草花遊びで楽しみ、夏はトドマツの暗い森の中で、みんなで妖精になって遊んだ。秋は樹の実で遊ぼうと思い、クリで「やじろべえ」を作った。クリはこの山のもの、タケヒゴは焼き鳥の串。5分もあれば完成だ。これは受けた。文句なしに子供がわいた。目が輝いた。机の角ででも、指先ででも決して落ちず、ゆっくりゆらりゆらり。こんな遊びならたくさん知っている。子どもたちと森で遊べるなんて、やったね!
この森でたくさんの森の妖精たちと一緒に遊びました。小さな妖精たちはみどりいろのアロマに包まれて走り回りまわります。なめらかなトドマツの幹に隠れ、苔で満たされた窪みに屈み、キノコを見つけ、鳥の声を真似ました。彼らは早口で妖精語を話します。私もその時は理解できたのですが、その声はすぐに森の奥のうす闇の中に消えていってしまい、もう覚えてはいません。
最後の氷期の寒さで姿を一時的に北日本から消したクリやブナは、縄文時代に入って約6.000年前に北海道に再上陸したと考えられています。ブナにかぎって言えば、今の黒松内低地までさらに北上したのは350年ほど前のことだというから、北海道南部といえどもブナの繁殖に適した土地ではなかったらしい。クリの方はその点、縄文人に受けが良かったらしく、3.500年前ころには札幌低地まで生活域を広げてしまったという。大島直行先生は「縄文人たちはそんなにクリを食べてはいなかったはずだ」と言っているが、、。 ブナの実は小さくシイの実を三稜持つ形に潰したみたいで、地方によっては「そば栗」という。拾い集めるのはなかなか大変。でも命にかかわる食べ物のこと、そこにあれば一生懸命集めます。特に子供などには適した仕事だったはずだ。そのあたり五千年前の長閑な小春日和、どうだったのだろう。
思い立って洞爺湖の向こう岸、仲洞爺の直径70cmはあるブナの大木を訪ねた。白さび模様の引き締まった胴をピタピタと叩いてみた。堅いようでどこかやさしく、冷たいけど血が通っているような命そのものを感じる。 「実生が育たなくってネ」と持主は言う。一本だけ若木が育っているので見るようにという。根の周り一面に敷きつめられた、形の良いオーカー色の葉をかき分けるとたくさんの実が散らばっている。小さく滑っこい実は、大人の指先には似合わないなと思った。子どもの小さな手、一握り分を見つくろって数えてみたら24粒。白い身が入っていてクリの味がするとものの本に書いてある。 食べてみようと思い殻を開けてみたら、空だった。すべて空だった。「充実」していない。こんなこともあるのだ。物事ってすべてこうだ。やってみなければわからない。