箱根近くに住む知り合いがやって来て、「何にもまして素敵だと思ったのはシラカバのある風景だ」と言った。「こちらでは当たり前の風景だ」と自慢して見せた。だがこの風景、これはあんまりというものだ。ひどすぎる。まかり通った電線にしてやられている。この樹は5年もすると箒のような形に復活するだろうがこれでは主客顚倒。軒を貸して母屋を取られてはいないか。
552 里山を編む
551 手にするマントル
薄い卵殻が地殻とすると白身はマントル、と説明を受けた。数千℃のマグマの固まった本体が橄欖岩。大陸プレートの衝突で押し上げられて、数十キロ下で凝固した橄欖岩をここでは手にすることができる。それが様似町のアポイ橄欖岩なのだ。正確には世界的に知られた「幌満かんらん岩(Horoman-peridotite)」。比重は3.0~3.3だという。花崗岩よりもずっと重い。腊葉標本の重石には絶好だ。幌満の「ジオラボ アポイ岳」の新井田先生に切っていただいた河原の石はペーパーウェイトだ。嬉しいね。
アポイジオパークが世界ジオパーク新規認定となった。我が家からは直線で170km。少し遠いがそれでもぐっと近づいた。橄欖岩を通して岩石の勉強ができる。これぞ「七十の手習い」だ。長い海岸線の潮間帯の生き物にも興味がある。長靴を履いて出かけなくっては。
550 大有珠ピナクルの月
549 様似エンルム岬
アポイジオパークの玄関口はここだ。様似町の海岸線にひときわ目立つランドマーク、エンルム岬。 サマニはアイヌ語だが詳細は不明、エンルムは「尖った場所」だという。
道南からの海沿いの道はおぼつかなく困難を極めていたという。アイヌの人々の生活も古くから知られ、エンルム岬、観音山にもチャシがあったという。この岬は人々の心と生活の拠り所となっていたのだろう。
当初は松前藩の運上所であったが、機を見て南下する対ロシア政策の一環として幕府直轄地の会所とされた。 約200年前の様似会所の絵図にはエンルム岬の岩や会所の建物、長屋、井戸などが描かれている。以来、様似は漁業の中心地として栄え、さらにここを起点に日高山脈越えの二つの山道が官営道路として整備された。
エンルム岬の写真は今回の研修の際、観音山から撮影したもの。1810年ころに描かれたという「シャマニ会所絵図」はエンルム岬案内板よりお借りしました。