773 ポンアヨロ海岸

ポンアヨロ白老町のアヨロ鼻灯台。アイヌの伝承の地「神々が遊ぶ庭」に接し、縄文時代から継続している遺跡がある。 今は干潮時で潮下帯のコンブ、スガモ、潮間帯のアオサ類、ウミトラノオや飛沫帯のカサガイなどが種類を異にし、色を変えてすみ分けている。 砂利浜の上の岩盤はクッタラ火山から溶結凝灰岩で、押しつぶされた軽石が見られる。褐色のバンドは地質図のポンアヨロ浮石層に相当するようだ。

772 アサクラサンショウ雄花

アサクラサンショウの雄花この地はサンショウの北限に近い。なんとか山椒の実を庭先で手に入れようと思い野生の実生を含め10数本植えてやっと2本の雌株を得たが、昨年実を収穫したのは市販のアサクラサンショウ、ルーペで花序を観察して驚いた。なんと雌雄同株だ。アサクラサンショウ、ブドウサンショウは雌雄同株の品種なのだ。あと1株は棘のある在来種。写真は昨年実を得た株の今年の雄花。

771 リンゴの始まり

リンゴ・つがる薄紅色のリンゴの花は、2週間もすると花梗は伸び子房もこんなに膨らむ。産毛が生えているけれど、いっぱしリンゴ気取りで、ほのかにリンゴ色もにじみ出ている。一つの房に1個だけ、真ん中のを残してあとは取り去る。落花狼藉が可愛そうなのでこの時期になって間引くことになる。この樹は早生の品種「ツガル」。9月末には見事に色づいて、リンゴの季節到来を告げてくれる。

770 緑なす

新山噴気昭和新山ドームの噴気が光る。厚く暗い雲を背に、切れ間から一瞬光が漏れて緑が輝いた。1945年に噴火が収まって72年。手前の森は屋根山のドロノキの群落。寿命は100年位だから壮年~老年期の森。遷移が進み樹種が交代して次にはどのような森に至るのか。隣り合う若いヤマナラシの林はどんな経過をたどるのか。50年先のこの山の緑を想像して見るが予測がつかない。私もいない。

769 六月の魚

六月の魚早朝、知人が魚を持ってきた。漁師さんを手伝っているという。身の細やかなで上等なババガレイと腹卵の美味しい大振りなアサバガレイはもう鍋の中で煮付。ここで気が付いて残りの撮影。マガレイとソウハチで15枚。ヤマメの親のサクラマスと手ごろな大きさのエイ(カスベという)。魚があると米がいらない私にとってこんな幸せが。庭の脇の特設流し台。ここも私のお気に入り。

768 キタキツネ

キタキツネ夕食の洗い物をしていた女房が、「あら、キツネ」といった。カメラをひっつかんで30秒ほどの出来事。たそがれ時、ISO4000、1/6秒のピンボケ写真。尾も太く、痩せてはいない。キツネは音をたてずに歩く。夕闇のなか滑るように軽く、ふっと息を飲む間に向うの麦畑へ姿を消した。10年も前なら良くやって来ていた。小さな町だが少しだけ家が建て込んだ。野生が懐かしい気がする。

767 東湖畔トンネル見学会

東湖畔トンネル前にトンネルの入り口を紹介した(ブログ701、705)が、延長463mの内275mまで達したという。切羽での見学には火山マイスターも15名参加した。掘り進む地盤には、湖岸をガードしているいわゆる「力岩」の硬い溶結凝灰岩は無く、比較的柔かい洞爺火砕流堆積物との説明を受けた。有珠山の噴火時の迂回路もかねての道道・滝之町伊達線なり、工期は2018年3月までだという。

766 遠い雪山

旭岳遠軽町・白滝から旭川へ向かう途中、左手に延々と連なる雪山を見た。比布大雪PA(上り)には展望広場が設けられていて、大雪・十勝山系の大眺望が楽しめる。なんといってもひときわ大きな三角錐、大雪山の主峰・旭岳だ。右に目を転じるとトムラウシ、さらに美瑛、十勝岳と北海道を代表する峰々が屹立している。広がる野面は五月の若緑。まだ雪を頂く山脈は眩しく神々しい。

765 残ったものは

尖頭器白滝ジオパークの遠軽町文化財センターで尖頭器づくりの講習を受けた。ここには国内最大の後期旧石器(30.000~12.000年前)の遺跡群と出土品の展示施設がある。使った材料は白滝赤石山の扱いやすい褐色系の黒曜石。指導は超名人。厚さ2㎝、6×10㎝程の黒曜石を鹿角で端から叩いて削り落としてゆく。鋭く硬いが、頁岩とは質感が違う。

いくつも失敗し、失敗から学んでゆく。それしか方法はない。細部の加工に悩む。「方法はいくつもあります、さあどうしますか」。戸惑う。判らない。微に入り細にわたる指導があって、翌日また失敗。そんな繰り返しだったが、数日を経て、解決法がじわーっと浮き上がってくるところがぎりぎり前進というものなのだろう。1個の素材からたくさんの剥片を散らかしてやっと一個の尖頭器ができた。

黒曜石剥片力のコントロールや打撃の角度がうまくいくと大きめの剥片ができる。並べてみると打点、打瘤、打瘤裂痕、リング、フィッシャー、すべて解説書の通りだ。熟達した動作は的確な成形につながるが、鹿角の使い方がうまくゆかず、良い剥片ができない。残った剥片は多くを語る。

旧石器時代の遺物は製作途中や破損したもの以外、この剥片が中心となっている。完成した石器は持ち出されてしまう。道具も作り手も住居跡も、万年という時間に溶け込んで何も残らない。剥片をジグソーパズルのように組み合わせて「接合資料」とし、そこから持ち去られた中身(本体)と加工のプロセス、テクニックを推測する。

しかしこうやって手ごろな何かに腰掛け、左の手のひらに黒曜石を持ち、用心深く右手の鹿角ハンマーで目的とする形に加工していると、その瞬間、同じ ヒト として旧石器人と心が繋がったように感じてしまう。時空を超えた不思議な感覚だ。

白滝の湧別技法で知られる石刃や細石刃の加工などは、私にとってはまだまだ先の話だが、白滝埋蔵文化財センターの皆さんには本当にお世話になりました。

764 汗の石

汗の石明治初期十勝の平原に開拓の手が入って、計算すると130年。十勝川や音更川の流域を肥沃な農地にするには原始林に手を入れることから始めた。伐採、抜根、運搬、馬、農器具、操る人達の筋力と汗。 音更川近く、どこまでも平坦な農地の境目に、累々と積み重ねられた礫の山を見つけた。耕すたびに地表に現れるこぶし大から枕の大きさまで。この平野が氾濫原だった証しでもある。