白老町のアヨロ鼻灯台。アイヌの伝承の地「神々が遊ぶ庭」に接し、縄文時代から継続している遺跡がある。 今は干潮時で潮下帯のコンブ、スガモ、潮間帯のアオサ類、ウミトラノオや飛沫帯のカサガイなどが種類を異にし、色を変えてすみ分けている。 砂利浜の上の岩盤はクッタラ火山から溶結凝灰岩で、押しつぶされた軽石が見られる。褐色のバンドは地質図のポンアヨロ浮石層に相当するようだ。
772 アサクラサンショウ雄花
771 リンゴの始まり
770 緑なす
769 六月の魚
768 キタキツネ
767 東湖畔トンネル見学会
766 遠い雪山
765 残ったものは
白滝ジオパークの遠軽町文化財センターで尖頭器づくりの講習を受けた。ここには国内最大の後期旧石器(30.000~12.000年前)の遺跡群と出土品の展示施設がある。使った材料は白滝赤石山の扱いやすい褐色系の黒曜石。指導は超名人。厚さ2㎝、6×10㎝程の黒曜石を鹿角で端から叩いて削り落としてゆく。鋭く硬いが、頁岩とは質感が違う。
いくつも失敗し、失敗から学んでゆく。それしか方法はない。細部の加工に悩む。「方法はいくつもあります、さあどうしますか」。戸惑う。判らない。微に入り細にわたる指導があって、翌日また失敗。そんな繰り返しだったが、数日を経て、解決法がじわーっと浮き上がってくるところがぎりぎり前進というものなのだろう。1個の素材からたくさんの剥片を散らかしてやっと一個の尖頭器ができた。
力のコントロールや打撃の角度がうまくいくと大きめの剥片ができる。並べてみると打点、打瘤、打瘤裂痕、リング、フィッシャー、すべて解説書の通りだ。熟達した動作は的確な成形につながるが、鹿角の使い方がうまくゆかず、良い剥片ができない。残った剥片は多くを語る。
旧石器時代の遺物は製作途中や破損したもの以外、この剥片が中心となっている。完成した石器は持ち出されてしまう。道具も作り手も住居跡も、万年という時間に溶け込んで何も残らない。剥片をジグソーパズルのように組み合わせて「接合資料」とし、そこから持ち去られた中身(本体)と加工のプロセス、テクニックを推測する。
しかしこうやって手ごろな何かに腰掛け、左の手のひらに黒曜石を持ち、用心深く右手の鹿角ハンマーで目的とする形に加工していると、その瞬間、同じ ヒト として旧石器人と心が繋がったように感じてしまう。時空を超えた不思議な感覚だ。
白滝の湧別技法で知られる石刃や細石刃の加工などは、私にとってはまだまだ先の話だが、白滝埋蔵文化財センターの皆さんには本当にお世話になりました。