554  ポルチーニ!

ポルチーニ気温が下がって来て、そろそろと思っていたが、近場の私の「シロ」三つのうちの一つで上出来のポルチーニ・ヤマドリタケを手に入れた。嬉しいね、こんな「絵にかいたような」極上もの、私も初めて。欧州の図鑑で見る以外は出会えはしない。厚めに切ってソテーし焼き色を付けるとナッツの香り。私はそれにバターと塩が好き。旨み、香り、それと「こく」。パスタにもいいが、冷えたワインに打って付け。

553  どちらが先か

シラカバ箱根近くに住む知り合いがやって来て、「何にもまして素敵だと思ったのはシラカバのある風景だ」と言った。「こちらでは当たり前の風景だ」と自慢して見せた。だがこの風景、これはあんまりというものだ。ひどすぎる。まかり通った電線にしてやられている。この樹は5年もすると箒のような形に復活するだろうがこれでは主客顚倒。軒を貸して母屋を取られてはいないか。

552  里山を編む

樹皮を編む火山マイスターの Y,mimatu 氏の発案・指導で、裏山から得られる素材で籠やコースターを作る講習会があり、手慣れた師匠の技術を教わろうと8名が参加した。この辺りではヤマブドウ、オニグルミが簡単に手に入る。サルナシ(コクワ)、シラカバ、昔からアツシ織りなどの繊維として使われてきたシナノキやオヒョウニレも入手可能だ。

今のところ、採取、剥皮、晒しは師匠の手業にたのむこととし、弟子の手は、割きと編み上げに徹する。自然と生活を直接に結ぶ手の技は、里山と繋がることで生活を築き上げてきた証しでもある。

550  大有珠ピナクルの月

ピナクルの月庭から有珠山に落ちんとしている月を見つけた。慌ててカメラを取り出し大有珠稜線のピナクル(岩塔)に重なる瞬間を狙った。冴えた三日月が写っていた。月は地球の衛星だから晴れていれば、夜、どの時間かに探せるものなのだが、忙しい生活の流れの中で気が付くことはまずない。この瞬間に「月」と出会えたのはとても嬉しい。月と火山と自分が一直線に結ばれたということだ。

549  様似エンルム岬

様似エンルム岬シャマニ会所絵図アポイジオパークの玄関口はここだ。様似町の海岸線にひときわ目立つランドマーク、エンルム岬。 サマニはアイヌ語だが詳細は不明、エンルムは「尖った場所」だという。

道南からの海沿いの道はおぼつかなく困難を極めていたという。アイヌの人々の生活も古くから知られ、エンルム岬、観音山にもチャシがあったという。この岬は人々の心と生活の拠り所となっていたのだろう。

当初は松前藩の運上所であったが、機を見て南下する対ロシア政策の一環として幕府直轄地の会所とされた。 約200年前の様似会所の絵図にはエンルム岬の岩や会所の建物、長屋、井戸などが描かれている。以来、様似は漁業の中心地として栄え、さらにここを起点に日高山脈越えの二つの山道が官営道路として整備された。

エンルム岬の写真は今回の研修の際、観音山から撮影したもの。1810年ころに描かれたという「シャマニ会所絵図」はエンルム岬案内板よりお借りしました。

 

547  細工は流々

梅干し ブログ536「我が家の塩梅」の続き。15%の天日塩でひと月漬けこみ、晴れ間を見つけ三日ほど干したら飴色に仕上がって、味もまろやかでいい塩梅。梅干し用の竹籠は荒い目に竹の表皮を通してあって食材を痛めない。40年も前、用賀にあった竹籠屋の爺さんから買った優れものだ。

今年の梅は柔かく仕上げようと思い、取り出しに都合よいように一層ずつガーゼで仕切った。同じように3日間、日に当てた梅酢を少し多めに振りかけて、あとは一年か二年、ころ合いを待つ。

540  渋さの記憶

トチノキ子どもの頃、胃腸薬だと大人たちが言っていた。食糧難だったがトチを食べる話はなかった。聞き書き「北海道の食事」「アイヌの食事」(農文協)にも載っていないから一般的ではなく、救荒食としての言い伝えくらいだったのだろう。サポニン、アロインを含んでいて苦味が強い。東北地方までは複雑なあく抜きの方法と食品が伝えられている。北海道開拓の人たちはまどろっこしい手順を踏む余裕も無かったのだろう。

539  今年のワタシ

ニホンアマガエル去年はどうだったのか知らないけれど、今年はワタシがここにいる。ここのアルジはワタシだ。ナニか。 毎年のことだが、人気の高い庭の「ハマユウ荘」。太い一株の葉の隙間を棲家にしているニホンアマガエルは4匹。こいつが一番大きく、次は灰色あばたであとは緑の小さいの。鳴き声は葉で反響するし雨水は溜まるし、だいいち踏みつけられることもない。白い花が咲いているので小さな虫たちもやってくる。

538  たくましく可憐

ヒロハヒルガオ伊達港のテトラポッドの隙間に純白の花を見つけた。五枚の蕚を包む苞葉がとても大きく、葉もまた大きいので Calystegia sepium  ヒロハヒルガオと同定した。日本のヒルガオ C. japonica にも似ている。セイヨウヒルガオ  C. arvensis ではなかった。英国の図鑑では  Larger Bindweed と書かれている。Great Bindweed という種 C. silvatica もあって、さらに大きな花を付けるという。

乾燥地、荒れ地どころか肥沃地にも、海水の飛沫がかかるような極端な土壌にも盛大な根を張り、強い生命力で子孫を増やす。ヨーロッパ原産だが、今では世界中に進出中だ。花はこの通り清楚で可憐。Sepium は垣根の意だというが、もはや生き物たちに垣根や国境はなくなったようだ。