932 夏の花飾り

エゾニワトコの赤い実2000年3月31日の有珠山の噴火で、洞爺湖幼稚園は廃園となった。教室の中は荒れてはいるがまだそのままで、朽ちんとする床の上には苔類、シダ植物が生育し、あたかも森の暗い林床といった感じだ。窓際には風や野鳥に運ばれた樹木が生い茂っている。壊れた窓ガラスから、エゾニワトコが赤い実をたわわに付けている。夏の日の花飾りだ。園児たちはもう社会人となった。

931 黄昏・大有珠

黄昏の有珠山きっと、紅く染まるぞ、と思ってカメラを抱え隣家の土手に陣取った。斜光は水平になり、やがて空は茜色染まっていったが、その前のこの光が良かった。金泥を薄く溶かしたような、落ちんとする西日の光芒が有珠山と昭和新山のドームを包み込んだ。ほんのつかの間の事だったが、夏の日の夕まぐれ、至福の瞬間を味わった。

930 浪費する生態系

ムラサキイガイの稚貝伊達港の岩壁の上に光沢のある黒い砂山があった。近寄ってみたら米粒大のムラサキイガイの稚貝の堆積だった。俵に入れたら黒米だ。定置網を引き揚げ、積み上げて干した跡らしい。生物の世界は壮大な浪費の上に成り立っている。北の海は潤沢だとはいえ、この、いのちの散財は何だ。一緒に10種類ほどの貝類が見つかった。写っている貝殻はエゾワスレ、巻貝はエゾヨウラク。

929 大きなクリの樹の下で

クリの花序この町にはクリの樹が多く、農家の裏庭に堂々たる老木が枝を広げている。クリーム色の雄花が樹を覆い尽くして、クリの花の季節になったと横を通りながらふくよかな香りを楽しんでいたが、今見るとすでに雄花は色を失い、花序の基部につく雌花はすでに小さなクリとなっていた。秋、クリの樹の下で、子供と一緒に実を拾う若いお母さんなどを見ると、満ち足りた感じがわいてくる。

928 ストロー・Straw

ストロー・Straw麦秋のシメは、この麦刈りの終わった黄金色の麦畑。向うに有珠山(左)と昭和新山(右)。いま、プラスティックのストローから紙のストローへと見直されているのだとか。そんなことでは無いでしょう。使い捨てプラスティック全体が問題でしょう。本来、ストローとは麦わらのこと。壮瞥町自慢のリンゴジュースを近所の小麦畑の麦わらストローで飲んでみた。美味しかったね。大地の味がしたよ。

927 ツタの樹

ツタの樹古い街を歩いていて、こんな風景に出会った。地面から、壁面を一気に這い上がったツタ。でもどう言うわけか途中で切られ、結果としてこの通り。飾り気のない壁面なら、いっそツタに覆われていたら、愛嬌もあったろうに。残念だったのは私よりツタだろう。よく見るとこのツタ、きっと大きく育って、樹になりたかったのだと思う。立派な樹の形をしている。

926 朝焼けの新山ドーム

朝焼けの新山ドーム

7月30日5時丁度。雲間から朝の光が天辺だけを照らして、まだ明けきらぬ街の上、ドームだけがぎらっと輝いた。毎日見ている構図だが、天候や光線の具合で千変万化だ。台風12号を西に逆走させた、太平洋の強い高気圧から、南風が今日も吹く。地中から焼きあげられ、持ち上ちあげられた天然煉瓦のドームは、今日また、真夏の太陽に尽日焦がされる。

 

925 花咲けるシナノキ

シナノキ大きな木になると聞いてはいたが、幹回り186㎝、樹高は15mくらいか、堂々たる体躯だ。三松正夫の「昭和新山生成日記」には、1944年7月11日、熱煙は「湖岸の保安林を倒してさらに湖中に噴き進み」とある。100m離れてハリギリ(センノキ)がある。この2本は、その時の火砕流に耐え残った樹なのだろう。(ブログ220 生き残ったセンノキ)。左奥、有珠山、右は洞爺湖。

924 ビロウドモウズイカ

ビロードモウズイカ春、ここにふさふさとしたロゼット葉を見つけたが、3か月もしたらこんなに成長した。英国の図鑑には Common mullein. Common on dry soils. Leaves decurrent. clothed with soft Wool.と載っていた。小型のハチたちがやって来て花粉団子を作ってゆく。来年は何処に出現か。いまや世界中に広まっているようだが、あまりきらわれ者ではないようだ。世界は撹乱の時代を迎えている。

923 タフォニの白い崖

タフォニの白い崖白い凝灰岩と火山砕屑岩の白い断崖が飛沫や潮風、塩類が析出する時の結晶圧などで窪みができ、連なってtafoni という独特の模様を作っている。もっと近寄れると圧倒的な印象なのだが残念。「涙」につながるアイヌの神話があると聞く。室蘭層といわれる白い長い崖は「銀屏風」の名で市民に親しまれている。ずいぶん昔、右手の奥の崖から降りて、この浜を磯伝いに歩いたことがある。