343  歴史を乗せて

壮瞥川の鉄橋太平洋戦争の末期、1943年12月28日の地震が昭和新山噴火の始まりであった。その頃の胆振線は胆振縦貫鉄道株式会社経営の私鉄であった。実際に噴火したのは1944年6月23日で、その日が国有鉄道への移管の調印式であったという。噴火前後から線路がゆがみ、軌道は数百m東へ移され、昭和21年9月13日の第七次線路変更まで必死の保線作業が続けられた。この鉄橋はその後1986年11月1日の廃線に到るまで使われたものである。

342  持ち上げられた鉄道

三田スケッチと現状国鉄胆振線は昭和新山の隆起で数十m押し上げられた。現在は鉄道遺構として橋脚が残されジオサイトとなっている。噴火50周年記念写真集には生成直後の昭和21年に東北大学学生の三田亮一氏が書き残したスケッチが載せられていて(右の図)、植生のない斜面にはっきりと橋脚が描写されている。氏は6年後海上保安庁「第五海洋丸」に乗り込み明神礁の調査中大爆発にあい31名ともども帰らぬ人となった。

341  ネコヤナギの樹

エゾヤナギいち早く春を感じ取って、ふくよかな綿毛をつけている通称ネコヤナギ。黄褐色の枝先に親指の頭くらいの花穂(かすい)の銀毛がひときわ目につく。雌雄異株の花序である。英名では Catkinといい、やはりネコ由来の言葉だ。 写真の樹は樹形や枝先の色からいって種としてのネコヤナギではなく、エゾヤナギではないかと思われるが、葉が出て大きな托葉を確認しなければならない。エゾノバッコヤナギもまたネコ毛を持つ。早春の悩ましい所だ。

340 春、雪だるま

雪だるま近所の家の雪だるま。この家の子供たちがひと月も前につくって、太っていたのが痩せてきたり、頭が落ちたりいろいろあって、それなりにこの雪だるまを作った子供たちの姿がめにうかぶ。この家の前を通るたびに妙に気になり眼を向けてしまう。今日の雪だるまはちょっとおしゃれで、色合いはまるで「かきごおり」風だ。壁に立てかけた北国特有の「ゆきかきスコップ」は色とりどりでプラスチックスプーンにも見える。

339 冬のロボット

冬のロボット洞爺湖畔の雪を被った舟形ロボット。冬は観光客も少なく、観光船も巡視船も職漁船も陸上で待機中だ。有珠湾から一つ尾根を越えてくる通いのセグロカモメは元気に活動中だが、生きものの姿はそれくらいだ。日も長くなり春近しと気を緩めた途端に積雪を見る。日本海からの雪雲は洞爺湖界隈まで雪を降らせ、この二日で40cmは積もった。

338 氷の形

洞爺湖の雪氷仲間の火山マイスターから連絡が入り、洞爺湖にあわてて駆けつけた。「面白い形に凍っていますよ」、その通りだった。氷結した湖面をよく見ると、それが円形の氷紋の片割れだと気が付いた。丸い形の水面が沖合へ続いている。昨日からの冷え込みと、無風と軟らかな降雪のなせる技なのだろう。静かな夜に、突然に時は緩やかになり、静かな冷却がこの形となって現れた。

337 海の白鳥

海のオオハクチョウ伊達の明るい海でオオハクチョウの群れを見つけた。まだ翅の色が茶色い幼鳥も混じったこの鳥たちは有珠湾に集まって暮らしている。伊達市の観光情報のHPには有珠湾(有、スワン)とあった。あとふた月もするとシベリヤへの北帰行が始まる。私はその頃リンゴの木の剪定の脚立の上から白鳥を見送る。広い海に浮かぶ白鳥からは生活者の感じを受ける。向うに見えるパステル画の様な岬は室蘭エトモ岬。

336 漕ぎ出す

漕ぎ出す何か春を見つけようと探しているうちに海へたどり着いた。あいにくの満ち潮で、海辺を歩くことが出来ない。漁師が小舟を用意している。「今年はワカメの伸びが遅くって、、」今日は少し遠くまで出かけるという。この時期のワカメは美味しい。フノリもマツボもイワノリもこの季節が旬だ。採れたてのは磯の香りが強い。今日は漁師の帰りが待てなくって、沖へと向かう小舟を見送っただけだった。

335 薄氷(うすらい)

洞爺湖湖畔の風のあたらない少し入江になった所で氷結した水面に出会った。この湖は不凍湖だが、静かな水面にはゆっくりと氷の結晶が出来て行く。水は透明そのもの。ここでは時間が止まっているのかゆっくり進むのかよくわからない。そのようなあたりまえの自然の成り行きを一つひとつ納得しながら歩を進める。時間も空間も自分すらも消えてなくなる。

334 春いろの影

春の影陽の光が一段と強みを増して、朝の樹の影が明らかになる。この先、木の根もとに雪の窪みが出来るようになると、本当の春近しだ。もうすぐ、枝先の樹の肌が赤く柔らかに色付く。そうなるとしめたもの、芽が膨らみ始める。こんなふうにして何かにつけて春を探し、春を待つ。鳥たちのさえずりが強くなる。雪の下のノネズミ達のトンネルが見えはじめるともうシメタものだ。この嬉しさは南の生きものたちにはわかるまい。