今年、つまり2015年、5月の連休、こんな風景に出会った。家族が波打ち際でバーベキューを楽しんでいる。この家族だけ。大きな自然と潮騒の中、楽しい顔の思い出は何時までも残るだろう。そしてこの風景を大切にするだろう。自然を大切にするとは身近な所から始まる。住むなら、思い出を紡ぐならここへおいで。ここは室蘭、イタンキの浜。
「火山・大地・気象」カテゴリーアーカイブ
500 春の海から
499 朧朧の
498 春の頂き物
497 アルトリの岬
7000~8000年前、富士山型だった有珠山は山体が崩壊して岩屑なだれを引き起こし、ほぼ瞬時に噴火湾へと流れ込んだ。さぞかし大きな津波が起こり、対岸の鹿部や南茅部では酷い目に遭ったろう。お返しにというわけでもなかろうが、1640年の渡島駒ヶ岳で起こった岩屑なだれでも津波が起こり、対岸の当たる有珠湾周辺で700人以上の死者を出したという。自然とはこういうものであろう。岩屑なだれの痕跡は現在、岬や入り江、沖の岩礁となって名残をとどめている。
岬の付け根には有珠 アルトリ海岸ネイチャーハウスがあり、海浜生物の資料が整っている。有珠洞爺湖火山マイスターでもある、ネイチャーハウスの福田さんによると、アルトリの地名は「より遠くにある」の意で、この画像の岬の陰に当たる長い浜の名だったという。小高い岬そのものはイソキソキ(キツツキの意)が本来の名だそうだ。中央左手の尖った岩はモシリワコツシラルという名だという。私の勝手な解釈ではモシリ・ワコツ・シラルで「島に近い磯」という意味か。福田さんに聞いてみなくては。
496 見守り続けて70余年
今日はジオパーク友の会恒例の昭和新山登山会。若芽が萌え、爽やかな風の中を50数名の各地からの参加者が元気に頂上に立ち、足取り軽く下山してきた。私はフィールドスコープで麓から眺めていたが、中には五、六歳の子供もいて、大人たちの中で良く目立った。
もう一人、登山する人たちを見守っている人がいる。故三松正夫さんだ。新山の誕生を詳細に観察し、ミマツダイヤグラムを世に出し、この山の保全を考えた人だ。丁度、銅像の三松正夫が覗いているトランシットの視野の中に、新山の右の肩から降りてくる人たちの姿が入っているように見える。三松正夫はどう感じているのだろうか。お聞きしたいものだ。
昭和新山は噴火時そのままの姿で緑とよく調和して現在に至っている。
495 いにしえの海辺
4月21日、考古学の人に誘われて有珠湾へ出かけた。9:40が底り、潮位が4cm。こんなことは滅多にない。7500年前、有珠山の山体崩壊でいくつもの流山が運ばれ、積み重なってこの海へ押し出し、岬や小島、岩礁となった。いくつもの入江があり、まだ人の手が加えられていない自然のままの磯も残っている。浅い海は底生生物や稚魚やプランクトンに満ち、緑色の海産顕花植物のスガモも見える。この季節は特に流れ着く海藻類が多く、砂の上にコンブ、ワカメなどの褐藻類が堆積している様子を久し振りに見た。
正面の小島はポロモシリ。画面右端はモシリ遺跡のあるレプタモシリへと続く。モシリ遺跡からは続縄文時代の微細な彫刻のある骨角器や、南海に産するイモガイで作られた貝輪が発掘された。人々はこの温暖で豊かな海を縁に、他地域の人たちと交流を持ち、数千年の歴史を繋いできた。