364  タンポポの五月

エゾタンポポ足元から遥か遠くに見える町役場の向こうまでタンポポに埋め尽くされて、景色が黄金色に染まる。セイヨウタンポポ、昔、牧草とともに渡って来たが、いまではこの季節を彩る土地の花。スカートもズボンの裾も金色の粉でよごしながらこの花を集め、太陽の光をお酒にする。タンポポのお酒だ。五月のエキス。何という贅沢。レイ・ブラッドベリーに乾杯。

362  マイヅルソウ

マイヅルソウてりのあるハート型の可愛い葉。この葉を見ると春の到来をしみじみと感じる。まだ硬く小さな花穂も見える。やがてこの下闇にちららちらとすずらんのような白い花をつけ、ルビー色の実は秋の終わり、初雪にも映える。緑の葉の中からツタウルシの三枚葉の赤い葉芽を見つけた。いまが一番毒性の強い時期。アア、春だ

359  名残りの花殻

イワガラミ洞爺湖畔の周遊道路から湖水までの狭い林は国有林。人の手は入らないから自然のままの四季を味わえる。ふと見上げるとイワガラミの花の残りがぶら下がっていた。萼片が1枚付くのがイワガラミ。近くには萼片4枚のツルアジサイや北海道ではサビタという名で知られる、つる性ではない灌木のノリウツギも見つかった。三種ともユキノシタ科。この冬、強風が吹かなかったから残ったのであろう。

358  季節の力

キバナノアマナ人の踏みこまぬ静かな洞爺湖畔で、落ち葉を持ちあげる小さな花を見つけた。キバナノアマナだ。重なる病葉を突き破って命が萌える。気が付くと、いくつも見える落ち葉のふくらみはみなそのような春の力で持ち上げられていることに気が付いた。季節とは廻って来るカレンダーの月日や時間の経過ではなく地表を覆う命そのものの循環。また春がやって来た

357  有珠山の雪

有珠山の残雪有珠山の山頂付近にまだ雪が残っている。北海道でもサクラのニュースが聞こえてくるが、このところの数日どこかで足踏みしている。この地方の農家では「有珠山の雪が解けて、カッコウが鳴くと何を植えても心配がない」という。今年は例年よりサクラは早いというけれど、今回、日本海にそってサクラ前線と一緒に北上する旅をしてきた私にとってはいささか複雑な気持ちだ。

356 蒼い空

眼近くの家で輓馬が保養している。本当に大きな馬で、人の頭くらいの大きさの蹄を持っている。私を見てくれている。近寄ると顔を持ってくる。優しく穏やかな眼だ。頬を撫で頤を掻いてやる。瞳を動かさず、私の眼をじっと覗き込んでいる。数秒、私の心は洗いざらい見透かされてしまったと思った。眼には蒼い空と有珠山と私が映っていた。あとひと月もすると、この眼にはどこまでも広がるタンポポの原っぱが映るはずだ。

352 雪の下の世界

雪の下の菌糸厚く積もっていた根雪が解けて去年の落ち葉があらわれた。湿った葉の表面に白い蜘蛛の巣のような糸とそれで出来た網が見える。これは菌糸だと考えた。マイナス数度、光の届かぬ湿度の高い環境の下でこの生き物は繁茂した。落ち葉を分解し土へ戻すきっかけを作ったのだろう。数日もせずにネットは春の陽に焼かれて消滅する。生命の星では立ち止まらず倦む事も無く、間違いなしに命は継続する。

351  地中の繁栄

s-DSC_3309植えつけて3年目のルバーブをわが家へ移植することになった。根が大きいと見繕ってスコップで少し大きめに掘り起こし始めたが、豈図らんやこいつの根は太く四方に蔓延っていて、一抱えもある根茎を掘り起こしたが随分勿体ないことをしてしまった。恐るべしタデ科植物。たった3年でその三倍もの年季を得た灌木の強勢の根の風貌だ。根あればこそ地上の隆盛も頷ける。今年の夏はジャム作りだな。

349  碧色の翳

s-DSC_3295根雪の下から軟らかな土があらわれ、もう幾種類もの花が咲き始めた。お寺の南向きの土手のフクジュソウは今年も見事に咲いている。春分を過ぎた光は秋分前の9月10日頃、そう残暑の頃の日の強さ。パラボナは焦点を蕊に合わせ、集められた光の粒子はいやがうえにも振動し発光する。純金の反射光は何故に碧の翳を持つのか私は知らない。誘き寄せられた黒い虫たちは、この反射炉で焼かれ溶かされ昇華する。

348  庭の妖精たち

クロッカス今年の雪は遅くまで残り、しかし一週間もかからずに大気と地面の中に消えていった。薄汚れた病葉を突き破って青白い尖った芽が持ち上がったと思ったら三日も経たずに輝くオレンジ色の蕊が弾けた。スプリング・エフェメラル。春の光に踊る一瞬の妖精たち。