676 今度は台風

台風10号被害壮瞥温泉近くの湖畔の道路。昭和新山第5次爆発の火砕流はここにあったミズナラ、ハリギリ、トチノキなどの防風・防雪林を一気に壊滅させた。1944年のことだ。その後植栽され堂々たる姿で役割を果たしていたが今回の台風10号は一夜にして100本を超えるトドマツをへし折った。湖岸までの幅30mの一斉林。混交林ではない上に下草が刈られ次世代が育っていない。風には弱い林だ。

675 台風一過

リンゴ一週間以上彷徨い続けたブーメラン台風10号は、三陸から津軽へ駆け抜けた。夜半の東風は猛烈で、朝、見回ると裏庭のリンゴ、モモは見事に落とされていた。リンゴは830個だった。近隣の果樹農家は痛手をこうむったに違いない。函館や津軽のリンゴ農家はどうだったののだろうか。道東の空知川、十勝川水系でいくつもの河川が氾濫しているという。収穫期の田畑が心配だ。

674 破壊と再生

2000年噴火遺構2000年の有珠山噴火で被害を受け放棄された公共住宅。屋根には噴石で多くの孔が開き、1階は火口から噴出した熱泥流で埋もれている。2階には50m上流から泥流で流されてきた国道の木の実橋が激突した損傷が残っている。泥流は橋げたをさらに100mも押し流し、前年に完成したばかりの町営浴場・やすらぎの家の真ん中を突っ切って厚さ1mの泥流堆積物を残した。

アパートの屋上の孔からの雨水は床を腐らせ、割れた窓から飛び込んだ綿毛を持ったヤナギ類の種子が発芽して、今ではこの通りの繁茂ぶり。5年ほど前の屋内探査ではこの樹々の根は和室の畳やカーペットの下いっぱいに広がり、隣室はシダが繁茂し、神棚にはシジュウカラの雛が育っていた。自然災害の現場で、破壊と再生を見た。

673 ジオサイト整備

ドンコロ山 山露頭有珠山と同じ時代に誕生したスコリア丘、ドンコロ山の整備を行った。スコリアの堆積の上に有珠山のテフラが乗っていて、1662年のUsu‐bも確認できる。露頭は夏草に覆われていて、ニセアカシア、ミズナラなどの木本も成長しはじめている。厄介なのは、このところ道南地方で勢力を増すクズで、これには根にクズ専用の防除剤を打ち込んでゆく。除草剤はすべてを枯らし、露頭は崩れる。植生に頼りながらの草刈保全。

669 夕映えのドーム

昭和新山ドーム夕映えの昭和新山のドームが燃えたつようだ。緑濃い屋根山はもう影の中に溶け込んでいる。誕生時、珪酸分の多い高温の溶岩ドームは河原の粘土や土壌を焼いてそのまま上昇し天然煉瓦の皮膜とした。初めはピラミッド状の溶岩体だったが、粘性が高い溶岩はユリ根のように分割しながら上昇し、複雑な形のドームになったという。昭和新山を周回すると、それぞれの場所で異なるイメージのドームを見ることができる。

667 奇岩黒岩

奇岩黒岩八雲町の海岸、ひときわ目を引く黒い岩塊。アイヌ語でシュマカムイ(石の神)と呼ばれた。硬質頁岩と泥岩の互層からなる八雲層中にあるハイアロクラスタイト(海底噴火の水冷破砕岩)で、流紋岩質の露頭だという(北海道地質100選解説による)。珪酸分を含む熱水から晶出した鶏卵大のメノウを見つけた。コウボウムギやハマヒルガオ、ハマエンドウの海浜植物群と潮騒の中で、はるか地層時代に思いを馳せる。

665 ヘーゼルナッツの実

ハシバミ・ヘーゼルナッツ縄文時代から知られている「はしばみ」・ヘーゼルナッツが実を付けた。毎年待ちわびていが今年雌花雄花がたくさん咲いた。(ブログ626)堅果は白いがもう膨らんでいて充分に硬い。4本の樹で合計100個くらいか。先ずは煎って食べよう。クッキーにすると香ばしいのは知っている、チョコレートをコーティングすると極上の、、などと、採る前の「はしばみ」算用をしてしまう。

664 日本海ブルー

茂津多岬海中で褐藻類が繁茂するのは、陸上の植生とは違い冬から6月までだ。それにしても、この青さはどうなのだ。まさしく黒潮系の色だ。海底の岩の表面を覆う石灰藻が透けて見えるのだろうが、親潮の影響の強い太平洋側ではお目にかからない水の色だ。茂津多トンネル(1974m)と狩場トンネル(1647m)の間の、人里離れた小さな入り江。駐車場に「茂津多岬」という石碑があった。

663 トッカリショ

トッカリショ室蘭港の裏側にこんな風景があるのをご存じだろうか。トッカリショは太古からの自然と人の生活が織りなす第一級の風景(ピリカノカ)だ。トッカリとはアザラシのこと。草地の下の断崖は海底火山の噴出物の堆積でできた室蘭層でイタンキの白い岩壁とつながり、成分の違う凝灰岩の層が傾斜していく層にも重なっている。小さな浜には何代も続く漁師たちの家がある。

私たちは工業を振興し港を盛んにする中で、このような美しい風景を捨ててきた。いくつものアイヌの伝説を伝え、人々の心に安らぎを与えてきたオイナオシ、オハシナイ、祝津(シュクズシ)、エトモの海はすでになく、電信浜、ポンモイの海岸は姿を変えた。砂浜は埋められ、岬はコンクリートで囲われてしまった。トッカリショに続くイタンキの浜が、海辺の生き物や鳴り砂の浜を守るという人々の熱い思いで守られているのが救いだ。

オイナオシの浜に続く栽培水産試験場が造られた場所は、豊かな海藻とスガモの藻場のある岩礁地帯であった。海の生物たちの揺籃の場を破壊して造成された施設は、祖先から譲り受けたありのままの多様な生態系をどのように補えるのだろうか。埋め立てでできたMランドという名の堤防の先は、いままさにピリカノカ・マスイチの絶壁を窺がっている。

 

662 百年の森

百年の森のマイスター1911年(明治43年)の噴火で有珠山の山腹で隆起した明治新山は四十三山(よそみやま)とも呼ばれる。噴火で植生が壊滅した後、再生された森は今、百年の森となって私たちを迎えてくれる。噴火時の火口の跡は今も森の中に残っていて、大きく深い火口や水を湛えた火口などをたどることができる。ジオサイトの現状の確認や案内板の点検をするのも火山マイスターの役割の一つだ。