583 旨いタラコは

旨いタラコ市販の塩タラコは実に不味い。魚卵の味がしないどころか、濃い漬け汁の味と舌の奥にいつまでも残る化学調味料の奇妙な味。“調味液”でなく「塩」のみで味付けしたタラコを函館で見つけ食べたが、これは旨かった。見習って、二腹200円で新鮮なタラコを買い、たっぷりの天日塩で締める。1.5㎏の重石、途中2度ペーパータオルを換え、冷蔵庫で約1週間。実に旨い塩タラコが誕生した。素材の持ち味を貶めてはいけない。

582 牧場のカモメ

カモメ壮瞥町の街の中の牧場で200羽ほどのカモメを見た。識別ができないので野鳥の専門家篠原盛雄さんに聞いてみた。「カモメという名のカモメで渡りの途中の集団であり、成鳥になるまでのさまざまなパターンの鳥が混じっている」とのこと。この町の人口は3000人を割り、子供の数は多くはない。種群が持つ健全な年齢構成の在り方について、小学校の青い屋根を背景に考えてしまった。

581 時代

ポロモシリ今は大黒島だが、ひときわ目立つ島なのでポロモシリ、左に尖って見える岩は小さいのでポンモシリと知里真志保・山田秀三の「室蘭市のアイヌ語地名」にある。1796年にやってきた噴火湾(Volcano Bay)の名付け親のイギリス人W.R.ブロートン(プロビデンス号船長)は船員オルソンをここに葬り、オルソン島という名もある。北千島にはブロトン島(武魯頓島)があり時代を物語る。

室蘭の基盤は数百万年前の海底火山の堆積(室蘭層=イタンキの白い崖)で、そこに溶岩が貫入し、岩脈はやがて残ってイタンキの岬、地球岬や測量山などとなった。安山岩の岩脈でできていた秀麗な母恋富士は採石のため削られて姿を変え、孤島だった大黒島は室蘭港の防波堤に取り込まれてしまった。時代と共に地形も地名も変わってゆく。

580 鈍色の風景

崎守の海冬も間近な室蘭市崎守町の海。北西の強い風に波がしらが吹き千切られる。防人の海なのか。

海鳥はオオセグロカモメとウミネコ。海が荒れるとここではいつもこんな風景。ちぎられた藻屑の中に餌でも見つかるのだろうか。

579 雨雲の渦

雨雲の渦990hPaの低気圧が西からやって来て、雨雲レーダー画像では丁度私の住む地域辺りが中心。左回りの雨雲が次々と流れ込んでいて、窓の外も雨が降ったり止んだりだ。天気図上では二つ玉どころか三つ玉の低気圧で、東へ時速35㎞で進むという。やがて北太平洋は大荒れとなるだろう。大陸からは高気圧と気圧の谷が交互にやって来ているから西高東低の安定した冬型はまだ先のことか。(https://weather.yahoo.co.jp/weather/zoomradar/)

578 異郷の冬

アカンサス地中海沿岸が原産のアカンサス。デザイン化されてギリシャ時代の建築から日本の唐草まで繋っている文様だという。壁紙や布地のウイリアム・モーリスのデザインが気に入って5年ほど前に苗を買った。季節はとうとう雪になって、間もなく葉は枯れ、根は凍てついた土の中で春を待つ。何の因果か日本で暮らすことになり、何とか種子を付けようとした花が雪をかぶっている。

577 北の砂糖

製糖工場池澤夏樹の「神々の食」に多良間島の黒糖が紹介されていた。甘さは生き物たちの安全な食の裏付。古来から砂糖を担ってきたのはサトウキビだが、北国北海道ではビートが砂糖となる。掘り起こされたビートはまだ畑に山と積まれていて、冬の間計画的に出荷される。伊達市にある北海道製糖の蒸気は砂糖生成の烽火。南国の黒糖も旨いが、この地のグラニュー糖も甘党には捨てがたい。

576 樹林の向こう

樹林の向こう今年の秋はゆっくりと過ぎてゆき、いつもの年よりも晩秋の落ち着いた風景を味わえた。公園や寺の裏庭の鮮やかな紅葉もよいが、林を歩いていて巡り合った秋の佇まいや、霜を受けた草紅葉の沈んだ色合いに心を奪われる。

風がふと止んだ時、息をふっと吐いて心を止めた時、目に映る色と風景は一期一会の「時」との出会いだ。

575 変わらぬものは

洞爺湖中島人のいのちはせいぜい100年。江戸時代に生まれた曾祖父と子供の時に話したけど、まあそれが限度。この湖は10万年前のカルデラ。見える中島は5万年~3万年前の激しい噴火でできたという。たっぷりと水を湛えて、なんという静けさ。洞爺湖の風が凪いで、波も霧も、時間も止まったと思った。しかし、明日の天気は分からない。人も風景も乗せて、やはり時は流れていく

574 時雨の後の

昭和新山ドーム時雨があって、輝いていたカラマツの葉も今は落ち込んだオーカー色。暗い空から少しだけ光が漏れて昭和新山の溶岩ドームの噴気が逆光に浮いた。生成当時は900℃もあったというドーム本体は今でも充分に熱量を保持していて、滲みこんだ水分は地下から供給される熱で蒸気となり、場所によっては勢いよく吹きだしている。