683 石炭の露頭

石炭の露頭確か1970年代、冬の札幌はスモッグに覆われた街でした。一年の半分は石炭を焚いていたのです。三笠ジオパークでは奔別(ほんべつ)、幾春別(いくしゅんべつ)、幌内の炭鉱跡がジオサイトになっている。三笠市立博物館裏手のサイクリングロードで見つけた露頭はコークスの原料に最も適した瀝青炭だと説明板にあった。炭化した植物の化石でもある露頭をみられるなんてすごい!

682 切れ味

石器を使う遠軽町白滝にある埋蔵文化財センターでの石器つくりを見学した。旧石器人に扮した名人が見事に出来たブレードで、ソイを調理する。私がブログ671でソイを上身にしたのはよく研いだ料理用包丁だったが、この名人、食にも堪能らしくギトッとひかる石刃でそのまま三枚にし、皮をそいで五枚下ろしまでやってのけた。現代人にしておくのは惜しいね。充分立派な旧石器人だ。

681 破片の情報

石器を作る遠軽町白滝の埋蔵文化財センターでジオパークガイド研修があった。ここは日本を代表する旧石器からアイヌ時代までの黒曜石の補給地である。黒曜石の塊から石刃を作る過程を見学した。石器一つを得る過程でこれだけ破片ができた。この地の遺跡から発掘され、捨てられた破片を3Dの接合作業をすすめ、石核の原型や石器の形を想定し製作のプロセスや道具の情報をも割りだすという。

680 たたらの人

イタンキ浜の砂鉄室蘭のイタンキ浜で天秤棒でバケツを運んでいる男を見た。それにしても重そうだ。砂の中からマグネットで集めたという。蹈鞴(たたら)和鉄の原料で、少年科学館や課外授業のイベントで活躍中の「室蘭登別たたらの会」石崎氏。波の音を背に、砂鉄の産地と成分の違い、炭のこと、手順、出雲のたたら製鉄まで話は尽きない。この人、炉から引き出した「けら」のように熱かった。

679 第二明治新山

第二明治新山「源太穴火口の湖側の林が20号台風の風でひどくやられて」と聞いてはいたがここまでとは思わなかった。ここは1910年(明治43年)噴火で隆起した第二明治新山だ。強い東風はトドマツ林をなぎ倒したばかりではなく、樹幹の途中をへし折っている。湖岸の民家や樹木が無事だったのが幸いだった。「ホテルかわなみ」の厚意でクルーザーに乗船、湖上から撮影。

678 トドマツの球果

台風10号のトドマツの球果風は猛烈で特にトドマツが被害を受けた。倒れた樹冠の上部には球果が付いている。この機会を逃す手はない。写真を撮り標本を採取した。エゾマツ類の球果は落下したのを入手できるが、トドマツは成熟すると種子は飛翔し種鱗は落下して花軸だけが残る。地上では入手が困難だ。溢れ出た樹脂(まつやに)の付着した球果と前年の古釘のような花軸が一緒のいい写真となった。

677 砕屑岩脈

砕屑岩脈「道央の地形と地質」という解説書と地形図を見比べながら自然風景の中を歩いている。イタンキ浜をはさんで室蘭層の白く長い崖の北西にあるイタンキ岬のもう一つ北の崖。海側から足を進めると安山岩の崖があり、上から下まで真っ二つに貫いて角れき岩と火山灰が混ざった岩脈が走っている。解説書の通りだ。よくあるのは水平方向に発達した柱状節理の貫入岩脈だ。初心者の私にはこの岩脈の生成機序がわからない。

676 今度は台風

台風10号被害壮瞥温泉近くの湖畔の道路。昭和新山第5次爆発の火砕流はここにあったミズナラ、ハリギリ、トチノキなどの防風・防雪林を一気に壊滅させた。1944年のことだ。その後植栽され堂々たる姿で役割を果たしていたが今回の台風10号は一夜にして100本を超えるトドマツをへし折った。湖岸までの幅30mの一斉林。混交林ではない上に下草が刈られ次世代が育っていない。風には弱い林だ。

675 台風一過

リンゴ一週間以上彷徨い続けたブーメラン台風10号は、三陸から津軽へ駆け抜けた。夜半の東風は猛烈で、朝、見回ると裏庭のリンゴ、モモは見事に落とされていた。リンゴは830個だった。近隣の果樹農家は痛手をこうむったに違いない。函館や津軽のリンゴ農家はどうだったののだろうか。道東の空知川、十勝川水系でいくつもの河川が氾濫しているという。収穫期の田畑が心配だ。

674 破壊と再生

2000年噴火遺構2000年の有珠山噴火で被害を受け放棄された公共住宅。屋根には噴石で多くの孔が開き、1階は火口から噴出した熱泥流で埋もれている。2階には50m上流から泥流で流されてきた国道の木の実橋が激突した損傷が残っている。泥流は橋げたをさらに100mも押し流し、前年に完成したばかりの町営浴場・やすらぎの家の真ん中を突っ切って厚さ1mの泥流堆積物を残した。

アパートの屋上の孔からの雨水は床を腐らせ、割れた窓から飛び込んだ綿毛を持ったヤナギ類の種子が発芽して、今ではこの通りの繁茂ぶり。5年ほど前の屋内探査ではこの樹々の根は和室の畳やカーペットの下いっぱいに広がり、隣室はシダが繁茂し、神棚にはシジュウカラの雛が育っていた。自然災害の現場で、破壊と再生を見た。