604 先ずは避難

避難生活有珠山に噴火の兆候という想定で避難訓練があり、久保内の壮瞥町農村環境改善センターへ出かけた。冬季の体育館の床はひどく冷たいが長尺のマット敷いてある。数分で出来上がるという2.5人用(4㎡)の簡易間仕切りと暖ボールという名の「たたみ」のある個室ができている。自分の眼で確認して初めて避難生活のイメージがわいてきた。ある期間、ご近所さんたちと協力しながら、このようなところに住むかもしれない。

603 いのちの足跡

キタキツネ長流川にかかる壮瞥橋の下にキタキツネの足跡(Footprints)を見つけた。少し古いのと真新しいの。どうやら岸辺の藪の中にねぐらがありそうな感じがする。空きっ腹で幾度も足を運んだのだろう。はたして餌にありつけたのだろうか。凍り付いた浅瀬で何かを探した気配がある。冷たい水で晒されたシャケの死骸でも見つけたのか。真剣に生きる野生のひたむきさが読み取れる。

602 棒鱈の世界

スケトウダラ小さな漁港の小さな家の小さな窓にスケトウダラが干してある。タラコ、白子を取った後、こうやって自家用に凍結乾燥する。凍りながら寒風に曝されて干せて行く。昔からの間違いなしの漁村風景。叩いてむしって食べるのが手っ取り早いが、煮物の鍋の中で他の具材と旨さの相乗効果を生み出す。熱帯を除けば世界中に棒鱈の煮物がある。マダラと共に世界の近世の食を支えた魚だ。

599 洞爺湖ミント

薄荷水際の大石にへばりついていたこのミント。香りが強いので見守り続けてきたが、去年の嵐で洗い流され、全滅の憂き目に遭った。小さい株を数本確保しておいたので裏庭に移植し、鉢にも根を植え窓際に置いた。ひと月もたたないのにこの通り十数本、シソ科の繁殖力には感心する。ケーキや肉料理の付け合わせ、サラダに加えてもよい。でも、私としてはやはりモヒートか。

598 山眠る・里眠る

リンゴ園リンゴは有珠山の賜物。この町壮瞥の北の大滝では寒冷と深い雪でリンゴは無理。有珠山の向こうの海側は海霧と浜風が吹く。この地域は盆地となっていて、天候に恵まれた町だ。ここ数日、明け方の気温は-7℃くらいで、遠くに有珠山、昭和新山を望みながら静かな朝を迎えた。リンゴ園の樹々は辛抱強く春を待つ。

594 この山

昭和新山私の好きな画角の火山、雪原に浮かぶ孤独な火山がこれ。アラスカか南極の火山と見たてても不思議ない。これは誕生して70年ちょっとの昭和新山。私より数年若い。赤い天然煉瓦のドームからはいまだに噴気が上がっていて、まだまだ体の芯には熱いものを持ち続けている。

593 春を待つ顔

クズの葉痕吹きさらしの斜面でこんな顔を見つけた。お下げ髪にも角髪(みずら)にも見える。今様にはニットのウオッチャーキャップかも。これはクズの葉痕。秋、葉を落とした痕は種によって異なるが、いくつかの種では水分や養分を運んだ維管束の跡が目にも鼻にも見えて、目にするとどこか心が緩む。顔の上の春を待つ芽はまだ硬い。下の横木はオニグルミ。ヒツジの顔が見えますか。

592 救荒食・エネルギーの循環

救荒食暮れに長流川に遡上して産卵後、息絶えたホッチャレ鮭。浅瀬に流れ寄った骸は厳しい冬を過ごすカモメやカラスたちの貴重な食料だ。この川で孵化したサケは海へ下り、5~6年で成熟し、また海から川へと遡る。エネルギーはこうやって移動し、陸上の生き物たちによって消費され、大地へと還元される。昨日この川でオジロワシ、オオワシを13羽数えた。キタキツネも姿を見せる。

588 氷雨の世界

雨滴冷たい風が小雨を運んで来て、切り忘れたバラの枝に水滴を作る。魚眼レンズの水滴は一つずつ逆さまの世界を閉じ込める。葉を落としたサクランボとリンゴが映っている。 蘇芳色のバラの枝には血の色をした固い蕾が。やがて雨は雪となり、半年後の緑の季節を待つ。

587 山の端の月

朝の月尾根筋の林はすでに葉を落としていて、そこに満月が落ちてゆく。闇に留まっているようにも見えるが、林の中にするりと落ち込む。時が過ぎるのは早いのか月が遅いのか。 2015年12月26日午前6時25分。もう朝の時間なのに、まだ夜は明けない。