857 旧胆振線・上長和駅

旧上長和駅伊達紋別から倶知安までの国鉄胆振線は1986年に廃止された。全線単線で勾配はきつく、太平洋戦争時代の鉄鉱石の輸送、昭和新山噴火時の地盤の隆起による迂回敷設など、時代に翻弄された路線だった。伊達市部分はサイクリング道路として残されている。この駅は公園となり、冬季は歩く人とて少なく、直線部分だった軌道の跡と、改造された駅舎とホームに少しの面影を残している。

856 エゾシカの革

エゾシカの革ブログ846のエゾシカの皮がなめし終わり、半乾きながらこのようになった。脂肪や結合組織の取り残し部分が厚くなって残っている。なめす前にするべき作業だった。この時点でのスクレーパーは役に立たないので、指先で摘み上げて黒曜石の石刃や破片の刃で丁寧に削ぎ取る。切れ味は文句なしだ。はるか遠い昔の、ご先祖さんたちの真剣な眼差しと後ろ姿が浮かんできた。

855 スギとトドマツ

スギとトドマツ壮瞥川が昭和新山に遮られ、新山沼になるあたり。写真中央の褐色がかった針葉樹がスギの林で、その下にはシラカバ。その上の濃い緑がトドマツ。スギ林は道南にかけて多くなり、ここ以北はトドマツ林が多い。その分かれ目がこの辺りだ。春ともなれば本州ではスギ花粉のニュースで賑やかになるが、北海道ではシラカバの花粉アレルギーが話題になる

854 山眠る・有珠山

厳冬の有珠山南東側からの有珠山山頂部。本格的な冬となった。山頂は雪をかぶり樹々は葉を落とした。山は眠っている。草津白根山が噴火し、続いて蔵王山も噴火警戒レベルが1から2へと引き上げられた。2011年の東日本大震災をきっかけに、日本列島の火山は活動期に入ったといわれている。今年、来年、この山は静穏を保ったままだろうか。次の噴火への折り返し点は過ぎたともいわれる。

853 草津白根山噴火

草津白根山噴火 23日、草津白根山の本白根山が噴火し、一人が亡くなり11人が重軽傷を負った。お見舞い申し上げます。噴火は水蒸気爆発と発表された。「噴火速報」が無いまま噴火し、即、噴石による被害ということになった。TVではライブカメラによる噴石が落下する様子が放映されており、そのあとで「火山活動レベル3=入山規制」が発表された。

2014年の御岳山では死者・行方不明者63人の大きな被害があった。日本では火山への登山者が多いうえ、火口の近くに観光施設がある。白根山から5kmさきには有名な保養地、草津温泉がある。有珠山周辺も同じく観光地でもあり、現在48名の洞爺湖有珠火山マイスターがいる。その一人として、今回の噴火は身の引き締まる思いがする。噴火の時期、場所、規模は予測できない。噴火が起こったら先ずは避難を優先するのがマイスターの役割だ。そのさき何をするべきなのか。勉強会や研修会があり、そこで学んではいるが、避難先での錯綜するであろう情報の的確な判断と、仲間との連携した行動が必要だ。

852 窓の雪

窓の雪雪が少ない冬と思っていたら、あに図らんや、つじつま合わせの20㎝近い降雪。おまけに昼近いというのに-8℃だ。昨日一日、南東の風に乗って吹雪が荒れた。午後には寒冷前線の雷一発で、冬のいつもの季節感の目が覚めた。自然はいつだって予想外。壮瞥の街はすっかり雪に覆われて、真っ白けっけの厚化粧。商店街は歩道の確保に総出の大仕事だ。

850 タンネシラル

タンネシラル室蘭、タンネシラル。アイヌ語では長い磯(知里真志保・山田秀三、1960)。半世紀以上前、私はこの崖地をましらのように走り回り、この海を潜りに潜った。岩肌に残るタフォニからは時の流れを、潮間帯の岩棚とその先の深みへの落ち込みからは海中の生き物たちの姿を学んだ。昔は「ハカショ」と言ったが意味はわからない。中学から高校時代、この磯での思いはつきない。

849 ロードキル

ロードキル市街地から山への道筋、血液の流れた跡があって引き返した。ここは伊達市西関内町。エゾシカが車と衝突したようだ。引きずられた血液と角の跡が生々しい。可愛そうに、シカは助からなかっただろう。運転者にとっても危険なことだ。シカが増えて市街地までやって来ることが多くなった。野生と人社会との関係が変化してきた。運転者にも農家にも、もちろんシカにも困ったことだ。

847 北の燻製

北国の燻製北海道産の食材(ウインナー以外)をスモーキング。電熱ヒータの助けをかり、サクラ材チップで2時間半燻製。気温は4℃。庫内の温度は60℃位が適温だが72℃まで上がり、プロセスチーズは少し垂れたが、格別の美味。魚は一夜干しをオーブンで110℃30分予備加熱。ナメタガレイは一級品の味。ソウハチガレイも美味しい。乾したスケトウダラは塩味が薄いうえスカスカの食味。

846 シカ皮をシカ革へ

エゾシカ皮ブログ832の皮を洗浄脱脂し、塩漬けにしたのを水で戻して続きの作業。皮についた結合組織を割りっぱなしの黒曜石ナイフで切り取る。この時点での掻器=スクレイパー(右手前2個)の出番はなかった。シカ皮提供のK氏、石器大好き人のG氏の4本の手はそのまま縄文・旧石器人の手となった。この後、ミョウバン・食塩液に10日ほど漬けこみ、蛋白質を変性させ腐敗しにくくする。