52 斑雪

有珠山春近し 3月16日、待っていた有珠山ロープウェイの運行が始まって、ガイド仲間での勉強会があった。よく晴れた北国の三月、残雪の山巓はもとより、遠く光る双耳峰、徳瞬瞥山とホロホロ山まで一望できた。頂上駅の50m程北側(写真建物の右)の小さな沢筋には地熱の高い場所があって、この時期いち早く地面がむき出しになり、赤茶色に裂けたように見える。外輪に開いた有珠山のあかぎれだろうか。少し火照って痒い。

51 春の兆し

ハシボソガラス 群れを作ってオープンスペースと昭和新山の山麓にある塒を行き来していたカラスたちにも、冬を終えつがいの結び付きが濃くなる季節がやってきている。名残りの淡雪の中、飛び立つ一羽を追うカラス。新しいハシボソガラスのカップルがまた一つ増えるのかもしれない。遠目に見る樹の枝先も軟らかな色合いを増してきている。北国にも待ちに待った春の訪れがすぐそこまで来ている。

50 大仮宿(おおかりやど)

大仮宿(グーグルアースによる) 3,11東日本大震災から一年経った。全国の死者・行方不明者は1万9510人にのぼるという。私は昔から海が好きだったからとても心が痛む。被害の大きかった釜石の近くに、大仮宿という小さな入り江と砂浜がある。気がかりでグーグルアースで見たら津波が奥へ280mも駆け上がった痕跡があった。地形図に合わせると到達地点の高さは海面から30mほどだ。緑の草地は消え、一つ建物の基礎部分だけが残っている。

C.emydiaベッコウシロガイ とN.gloriosaサクラアオガイ 26年前、ここの海岸でカサガイの調査をした。手元に百数十個の標本が残っている。オオカリヤド Lamminaria zone=コンブ帯。今は属名が変わっているが北太平洋種のCollisella emydia ベッコウシロガイと暖かい海からの Notoacmea gloriosa サクラアオガイ、よく似た種が同時に見つかった。北と南の生きものたちの接点三陸の海。その時この浜の番屋でとても甘いコーヒーと暖かい食事をたっぷり御馳走になった。冷えきった身体に好意が嬉しかった。お世話になった人はそこにはすでにいないとしても、今回の津波で番屋にいた人たちは無事だったのだろうか。この浜では明治26年(1896年)、明治三陸大津波で84名が命を失っている。  津波から一年過ぎて、海中の生きものたちは復活し、元の自然に戻ったであろう。でも何時か、きっとまた大津波はここにやってくる。 たまたま私がかかわった、間口100mほどの小さな浜での出来事だが、私たちはあたりまえの自然の中で、その自然をどう生きればよいのかを、あらためて問われている。

44  埋み火

昭和新山ドーム 白く輝き、雪煙をあげる有珠山山頂部と昭和新山。数年前にも撮影したが、私はこの画角が好きだ。春の雪は昭和新山のドームのほんの少しだけ高い地熱で溶け、岩肌に吸収される。ドームの上面は、デイサイト熔岩の熱で土壌が焼かれて出来た天然の煉瓦だから、水分を吸って益々濃い色合いに見える。徐々に冷えつつあるドームだが、まだまだ火の山としての情熱を感じる。

36 地中のガラス

黒曜石 豊浦町のトンネル工事現場から出た黒曜石をいただいた。アメ色のガラス質だ。数km離れた豊泉川の河床からは、昔から黒曜石の亜角礫が産出され、縄文時代の石器の材料として使われていたという。洞爺湖火砕流起源として地下で繋がっているのだろう。構成微量成分の組成差で産地が特定されるので、石器の原材料としての流通経路を判読する格好の資料でもある。

28 熱き心

ドームからの噴気 雪を纏った昭和新山。山体が形成されて66年経ち、麓からは緑が這いあがり、巨岩が堆積していた屋根山もすっかり様子は変わって、ドロノキ、ニセアカシア、アキグミなどが繁茂している。しかし、赤く焼成された天然の煉瓦のドームは今でも際立つ存在で、冷え込んだ朝には逆光に噴気が輝く。激しい噴火の末に誕生した火の山。体内の情熱と火照りはまだまだ収まってはいない。

25 明治新山 源太穴

源太穴 仲間たちと源太穴を見に出かけた。102年前、明治43年の有珠山山麓噴火は明治新山(四十三山)を隆起させた。佐藤傳蔵によると、45の火口が記録され、源太穴はその中の最大火口で長径211m、短径171m、深さ41m、二重火口、泥流を流したとなっている。 画像は北側の火口壁から見た南側火口壁内側の雪斜面。夏には植物が繁茂していて全体像はつかめません。

1910年噴火左は102年前(1910年)の噴火。壮瞥温泉付近から見た源太穴からの噴煙(壮瞥町「変遷」第1集による)。左手前は東丸山。右奥は明治新山を隆起させた火口群と思われ、新山はまだ隆起していない。源太穴からは熱泥流が発生し湖岸に達したという。この後、数十年の間隔をおいて昭和新山が噴火し(1944年)、さらに山頂部での噴火(1977-78年)、西山山麓噴火(2000年)と続きました。有珠山はまだまだ活動的な山です。次は、何時、何処で,どのような形で噴火するのでしょうか。

22 白銀の山頂

輝く有珠山 1977年、78年の激しい山頂噴火の後、1982年までに有珠新山が175m隆起し、外輪北東壁は外側方向に180~190m膨らんだ。それから35年、壮瞥の街から白銀の有珠山山頂部が見える。画面の手前は山体の東側面。輝く山頂を乗せ、画面の右側へ山は大きく膨らんだ。手前、暗い斜面は昭和新山、それと重なるのが噴火時、崩壊してしまった「立岩」、別名「土瓶の口」。

20 氷の牙

氷の棘 北西の風がシベリアから吹き付けて、日本海側の留萌や岩見沢は大雪となり、人々は除雪で苦労しています。洞爺湖では過冷却気味の空っ風が吹いて、湖水の飛沫がアシの茎に凍りつき、氷の牙となりました。蒼空の下、西日を受けて、巡って来たごくあたり前の四季の風景は、かくも厳しくかくも穏やかです。きっかりとした自然の輪廻の中に私たちは命をつないでいます。

18 山眠る

オロフレ峠 陰になった樹氷の向こう、一瞬の雪雲の切れ間にオロフレ山登山口の斜面が輝きました。雪雲が雪面の照り返しで白く浮きたちました。その向こうは鋭く切られた岩壁。山頂は画面のさらに左。オーカー色の斜面がダケカンバ、ミネザクラ、カンボクなどの落葉樹林。白い雪の下にはシラネアオイやミヤマオダマキ、サンカヨウなどがひたすら静かに眠っています。