3月16日、待っていた有珠山ロープウェイの運行が始まって、ガイド仲間での勉強会があった。よく晴れた北国の三月、残雪の山巓はもとより、遠く光る双耳峰、徳瞬瞥山とホロホロ山まで一望できた。頂上駅の50m程北側(写真建物の右)の小さな沢筋には地熱の高い場所があって、この時期いち早く地面がむき出しになり、赤茶色に裂けたように見える。外輪に開いた有珠山のあかぎれだろうか。少し火照って痒い。
「火山・大地・気象」カテゴリーアーカイブ
51 春の兆し
50 大仮宿(おおかりやど)
3,11東日本大震災から一年経った。全国の死者・行方不明者は1万9510人にのぼるという。私は昔から海が好きだったからとても心が痛む。被害の大きかった釜石の近くに、大仮宿という小さな入り江と砂浜がある。気がかりでグーグルアースで見たら津波が奥へ280mも駆け上がった痕跡があった。地形図に合わせると到達地点の高さは海面から30mほどだ。緑の草地は消え、一つ建物の基礎部分だけが残っている。
26年前、ここの海岸でカサガイの調査をした。手元に百数十個の標本が残っている。オオカリヤド Lamminaria zone=コンブ帯。今は属名が変わっているが北太平洋種のCollisella emydia ベッコウシロガイと暖かい海からの Notoacmea gloriosa サクラアオガイ、よく似た種が同時に見つかった。北と南の生きものたちの接点三陸の海。その時この浜の番屋でとても甘いコーヒーと暖かい食事をたっぷり御馳走になった。冷えきった身体に好意が嬉しかった。お世話になった人はそこにはすでにいないとしても、今回の津波で番屋にいた人たちは無事だったのだろうか。この浜では明治26年(1896年)、明治三陸大津波で84名が命を失っている。 津波から一年過ぎて、海中の生きものたちは復活し、元の自然に戻ったであろう。でも何時か、きっとまた大津波はここにやってくる。 たまたま私がかかわった、間口100mほどの小さな浜での出来事だが、私たちはあたりまえの自然の中で、その自然をどう生きればよいのかを、あらためて問われている。
44 埋み火
36 地中のガラス
28 熱き心
25 明治新山 源太穴
仲間たちと源太穴を見に出かけた。102年前、明治43年の有珠山山麓噴火は明治新山(四十三山)を隆起させた。佐藤傳蔵によると、45の火口が記録され、源太穴はその中の最大火口で長径211m、短径171m、深さ41m、二重火口、泥流を流したとなっている。 画像は北側の火口壁から見た南側火口壁内側の雪斜面。夏には植物が繁茂していて全体像はつかめません。
左は102年前(1910年)の噴火。壮瞥温泉付近から見た源太穴からの噴煙(壮瞥町「変遷」第1集による)。左手前は東丸山。右奥は明治新山を隆起させた火口群と思われ、新山はまだ隆起していない。源太穴からは熱泥流が発生し湖岸に達したという。この後、数十年の間隔をおいて昭和新山が噴火し(1944年)、さらに山頂部での噴火(1977-78年)、西山山麓噴火(2000年)と続きました。有珠山はまだまだ活動的な山です。次は、何時、何処で,どのような形で噴火するのでしょうか。