185 朝日を受けて

昭和新山ドーム 輝く大有珠を背に昭和新山のドームが赤い。まだ余熱を宿す岩壁は積もった雪を溶かし噴気をあげている。ドームは「昭和19年(1944年)11月下旬、第4と第6火口の間から推上しはじめ、市街からも遠望できるようになったのが12月中旬で、高さが10m程の三角形の大岩塊」と、三松正夫の「昭和新山生成日記」にある。現在、我々が見るドームは屋根山(手前の樹林地帯)からさらに150mもそびえ立つ美丈夫である。

184 透明な惑星

透明な惑星 始終北西の風が吹く北辺の不凍湖にも和やかな日差しの時があって、湖岸に出ると、眼につく光あるものすべてが透明に見えている。ぎりぎりまで下がった水温は密度を増し、粘性さえ感じ、そのあたりでは時間の経過までとろみを帯びてくる。大気は香りを持ち、吐く息さえ甘い。存在するものすべてに意味を感じる。

183 春を待つ

ミズバショウ 洞爺湖の湖岸近くの湿地に、一つだけの萌黄色を見つけた。ミズバショウの新しい芽だった。雪景色の中のくぼみの水たまり、命あるものは何も見えず、何も動かず。樹の枝から落ちた雪片を載せ、淡く青空を映す縮緬皺の薄氷。春はまだ遠いのか、もう近いのか。あらゆるものが動き出し、軟らかな緑色の風が流れる「その季節」をひたすら待っている。

182 明日に向かって

明日に向かって 有珠山ロープウェイの山頂駅から火口展望台へ、札幌の高校生のグループをガイドした。-10℃だった。ここから見える銀沼火口周辺は、1977年夏に噴火し、たまたま私は、70km離れた札幌でその噴煙柱を見た。その次の噴火は2000年だった。次の噴火は?豊かな自然の恩恵と人間の生活、それと表裏一体の災害について話した。溌剌とした彼らと充実した時間を私は過ごせた。彼らとなら明日に希望が持てる。

180 凍る火の山

凍る火の山 不凍湖も凍る寸前なのか。氷のシャンデリヤの向こう、左から昭和新山、有珠山、その手前の丸いドームは東丸山。胸までのウェーダーを履いて湖岸をたどると、一足ごとに鮮烈な風景が展開する。純粋で質素なセピア色の小宇宙。自らの筋肉感覚、皮膚感覚で四季のページをめくってゆける。このような苛烈でかつ豪奢な自然もまた北国のジオパークの魅力のひとつだ。

177 春よ

イヌコリヤナギ 凍りついた足もとに、何かしら軟らかな気配がして、そこにはイヌコリヤナギの低い株があり、今にも動き出しそうな芽があった。オリーブ色の曲線を描く若い枝と、膨らみつつあるバーミリオンの花芽は、花綵となってたおやかに繋がり、滴る氷はまるで軟らかなゼリー菓子のようだ。ほんの一瞬だったが、懐かしい春の匂いがした。  「春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき、、、」

176 過酷も恩寵

素顔の洞爺湖 冬の北海道はこんなもの。もっと北は凍結して逆におとなしくなる。日本はいいですね。このような風景からサンゴ礁、マングローブの海まで、ビザなしだ。南北に3000km。これほど懐の深い自然に恵まれた国は多くは無い。この国に生まれただけでも幸せというものだ。だが、それだけデリケートな自然でもあり、多様な自然災害の存在も事実。あわせて受け入れねばならない。

175 風に吹かれて

凍れるハクチョウ 洞爺湖、北風岬でこんなのに出くわした。北風に舞い上がった飛沫が凍てついてたまたたまこんな形に。自然の妙などとは言わないが、風に吹かれ、鼻水を凍らせながら気の向くままに歩いていると何かに出会う。温室住まいからは何も生まれない。季節は冬。ごく当たり前の季節の経過を皮膚で感じて初めて「生きている」証になる。書を捨てよ、凍れる野へ出よ。

171 力岩の露頭

熔結凝灰岩 壮瞥滝近くの岬の先端、吹き付ける北西の風が飛沫となって凍り、足元を危うくする。見上げると洞爺湖岸には珍しい天然の断崖。壮瞥滝の下の河床の壮瞥火砕流堆積物は100万年以前とのこと、その上部にある滝の上熔結火砕流の露頭なので、それ以降の年代なのでしょう。見事なものです。この付近の湖岸から湖底に続き、壮瞥滝を形成している「力岩」の露頭なのでしょう。

169 不思議な一体感

「起源‐湖上に向かって」 旧洞爺村のちかく、雪の中にある黒御影の石彫。石塊の曲線は優しく柔らかで風景と一体感を持ち、磨かれた面に映る風景は違和感なくフィールドとつながっている。いろいろな方向から映る風景を楽しんだ。湖の周囲43kmをステージとしてこのような彫刻が58基置かれている。1977-78の有珠山噴火復興10周年記念に作られたものだ。これは湯村光・作 「起源‐湖上に向かって」。