303 赤煉瓦70年

昭和新山ドーム首を90度右に向けると窓からこの風景が見える。昭和新山と有珠山を庭の借景として暮らす贅沢。新雪の上に煉瓦造りの新山ドームが水を含んでいよいよ赤い。この下には土壌を焼きあげた粘性の高いケイ酸質の熔岩が存在する。1944年6月23日噴火が始まり、終息したのは1945年9月20日。来年は70周年だ。昭和新山の再噴火は考えられないにしても、有珠山周辺での次の噴火への折り返し点は過ぎたと思う。

302 ラクダの毛布

カラマツ林植林して20年くらいの若いカラマツ林。ラクヨウ(ハナイグチ)を採る人の姿も消え、足跡も無い。黄葉した葉はハラハラとすべて落ち5cmもの厚さになった。昔の贅沢品にラクダの毛布があった(ラクダの股引もあったけれど)。この冬、この山は雪の下で上等品の毛布にくるまれてひたすら半年熟睡する。

301 命の重さ

エゾシカ昭和新山の際を通るR453、18時を過ぎた闇の中、エゾシカが倒れていた。前の車と衝突したらしく、起き上がろうとしているが腰から下が動かない。通りがかったドライバーと次の事故を誘発させないように路肩の藪まで運んだ。80kgはありそうなおとなのメスだった。動かぬ後ろ脚を両手で握る。ざらついた剛毛の感触と熱い体温が掌に伝わってくる。重たかった。見開いた瞳にヘッドライトと私の顔が映っていた。野性と人との距離近くなったのが気になる。

300 帰り花

帰り花間もなく静かに冬が来る。ことの始まりを春としたのはおよそ正しいのだろうが、さすればこれからがエピローグ。一つ一つにけじめをつけて季節をやり過ごしてきたけれど、やり残したこともまた多い。オンコの生垣に咲き遅れたクレマチスが霜を纏って咲いている。咲き誇った夏の自負を辛うじて残し、やっとここまでこぎつけた。命のけじめの砂糖菓子。寡黙なフィナーレ帰り花。

298 冬の水甕

石見焼昔はどこの家にもあった水甕。庭に埋け夏場は金魚も入れて孑孑(ボウフラ)退治をさせながら水場としている。しかし、北国のこととて放っておくと12月になる前に凍結して粉々だ。だから、「しばれ」が来る前にこうやってけじめをつける。北前船によって運ばれたという石見焼が雪の中にヌット居座っているのも、これまた田舎めいて風情のあるところだ。と云っている所に霰を伴った時雨がやってきた。昨日の続き。

297 打ち時雨る

時雨シベリア高気圧から寒気がまだ海水温の高い日本海を吹き下ろして、途切れ途切れの雨雲の集団を南東に運んでいる。典型的な時雨模様を示すレーダー画像だ。予報では落雷、突風、雹、急な強い雨に注意とある。11月20日10時前、壮瞥町(赤丸)は青空が見えるのに冷たい雨がやってきた。これが数日続くと、本格的な冬型となる。

296 晩秋昭和新山

昭和新山この方向からの新山は屋根山の平坦部がよく見える。しかし、実際は隆起で持ち上げられ破壊された巨岩が累々としていたのだが、生成後70年になる現在では植生の回復でずいぶん歩きやすくなっている。山頂手前の屋根山のコブの上には、「新山の活動が一段落して2年、一発のくしゃみ状二次的爆発をして小火口を発生、現存する唯一の火口」(昭和新山生成日記・三松正夫)が有る。

295 ノスリが飛んで

ノスリ目覚めたら銀世界。雲の切れ間からカラマツに朝の陽があたって、真鍮色の林が浮き上がった。シャッターを切っていたらファインダーにノスリが飛び込んで来た。大きく旋回する彼の眼にはこの初冬の鳥瞰図、どの様に見えるのだろう。有珠山を取り巻くこの地域には数つがいが棲みついている。悠揚迫らぬ軟らかな飛翔は、移ろい行く風景のなかで、「決して変わらぬもの」もあることを教えてくれる。

294 ジオの醍醐味

ホットサンド我が洞爺湖有珠山ジオパークでは、食分野でもプロジェクトチームが発足している。今回の会議は当ジオパークに協賛してくれている豊浦町のピザ専門店 Namiheyで開かれ、ホットサンドのお披露目も行われた。入江・高砂貝塚の約5000年前の出土品のホタテの貝殻をかたどったホットサンドだ。大ぶりの中身はボイルホタテ丸々一個分と御当地のタマネギのソース。時の流れと大地の豊穣、海の潤沢が伝わって来る。

292 空蟬

エゾゼミ秋の陽をうけ緋色に輝くツタウルシに、エゾゼミの抜け殻が雨と風の中、落ちもせずしがみ付いた。暑かったこの夏のいのちの名残り。現人(うつしおみ)が転じて「うつそみ」となったというが、言の葉は生きもの蝉の抜け殻と結びついたあたり、たまゆらの時の流れをしみじみ感じる。夏の朝、薄衣一枚を残して17歳の光源氏の前から姿を消した空蝉は、自らの矜持を捨てはしなかった。