313 めげない

ハクサンシャクナゲシャクナゲが寒さに耐えることに心底感動する。いまはまだ寒さも始まったばかりで、葉には深いオリーブグリーンが残っていて、どこか冬を眠る命を感じさせる。2月の厳冬期になると葉は干からび黒く煤け、握るとハラハラと崩れてしまいそうになり、寒風にさらされている様子は見ている方がつらくなる。しかし4月になってやわらかな陽をあびると葉は再び蘇り、新芽は伸び花芽は膨らむ。いったいこの強さは何なのだろう。

310 沈黙の耀き

昭和新山ドーム昨日が冬至。午後3時には日が傾いて来て、昭和新山、有珠山の影が私の町壮瞥町に延びてくる。新山のドームにはまだ地熱が残っていて、積もった雪はすぐ溶ける。誕生後70年も経つが、まだ100度に近い地温や噴気も観察できる。新しい年に向けて何を伝えるのか。逆光の黒いドームの頂上に、落ちる陽の光芒を透かす黄金色の火山の吐息を見た。(2013年12月24日15:29、壮瞥町市街から)

309 大地の申し子

秋播き小麦伊達市館山の丘陵の麦畑。秋の一番おしまいに播種された秋播き小麦「キタモエ」。根雪になる直前、ここまで伸びました。春4月まで根雪の毛布の下で眠りにつきます。雪腐病、うどんこ病に強く、穂発芽耐性も強いといわれ、麺類に最適の新しい品種だ。ここの表土は長年使われ改良された有珠山の火山灰、地下には数十メートルの厚さの洞爺湖軽石層がある。噴火湾を隔てて渡島駒ケ岳を望む。火山に繋がる大地、ジオパーク。

308 長い屋根山

昭和新山屋根山昭和新山は見る方角によって形が異なる。これは南東方向、伊達市関内の丘陵地からのもの。この台地の下には十万年前の洞爺湖カルデラの噴出物が数十m堆積している。ここからの屋根山は約1㎞の長さを持ち、比較的平坦に見えるが、かつては岩塊累々たる荒れ地だったという。生成後70年経つ今ではドロノキ、ニセアカシア、ミズナラなどの広葉樹林となり、腐葉の堆積も進んでいる。

307 夢の向こうの双耳峰

徳舜別、ホロホロ我が町壮瞥町から望む徳瞬別岳(左)とホロホロ岳。夏にはトドマツの原始林の中を辿り、頂上では日高の遠い山並みをそして道南の名だたる山嶺を手にする頂きだ。ここからのこの山はおぼろおぼろの夢の山。高さも規模も遥かに及ばないがこの町の幻の山、梅里雪山。無垢でたおやかに、いつも私たちに寄り添っていてくれる。

306 昭和新山、誰そ彼どきに

トゥオネラの白鳥有珠湾あたりにハクチョウが渡って来ていると聞いていた。薄暮れて新山の屋根山が黒く落ち込む頃、幼鳥を含めた七羽の群れが鳴き交わしながら新山沼に降り立った。これから半年は寒いけれど静かな時間が続く。屋根山の木立が透けて頂上のドームが見える。人の姿を見つけて鳥たちが来る。闇夜とこの世を繋ぐ使者。トゥオネラの白鳥か。

305 昭和新山のオデコ

昭和新山ドーム昭和新山は緑に覆われた屋根山と赤い煉瓦色のドームのイメージが強い。だが、一歩踏み込んでみると(三松正夫記念館の許可を得て)奥深い魅力に満ちた火山であることが分かる。ここはグレン谷と呼ばれる昭和新山のせり上がった熔岩の本体が観察できる場所。土壌を焼いて天然煉瓦にしたデイサイト質の粘性の高い熔岩円頂丘の本体が巨大な壁面となって迫って来る。

304 不味の戦略

ナナカマド冬を迎えて二度目の雪となって、着実に季節は進む。雪を乗せたナナカマドの赤い実を通して望む昭和新山と有珠山も冬景色だ。山々が雪で覆われ、いよいよ食べるものが無くなって来ると鳥達も里へ下りてくる。甘さも酸味もおまけに汁気も無く、色だけ目立つナナカマドのかたい実は、救荒食のように食べられ、種は散布される。時間的ニッチの中で次世代への命を繋ぐことになる。晩生にはそれなりの戦略がある。

305 鉄道遺構・旧国鉄胆振線橋脚

旧国鉄胆振線橋脚1944年(昭和19年)6月23日に始まった噴火は地殻変動を伴いながら17回の大噴火を繰り返し、約一年の間に壮瞥川、鉄道、生活道路を山麓へと持ち上げた。昭和新山山麓には旧国鉄胆振線の遺構が残されている。二つの橋脚の間をかつての壮瞥川が写真左から右へと流れ長流川に合流した。橋脚の上には鉄路があり、左奥方面は壮瞥、右手前方面は伊達。昔日の水辺の証しとしてトクサが茂っている。来年、昭和新山は噴火70周年を迎える。

304 明日に向かって

明日に向かって私の町、壮瞥町は人口3000人に満たない。だがこの所、近所に子供たちの姿をよく見かけるようになった。遠くに聞こえる子供たちの元気な声は何を呼び合っているのだろう。下校時の生徒のグループや、バス停の高校生ら姿も私の心を未来へとつなげてくれる。和らいだ初冬の夕刻、長い影を作って家の前の砂利道を駆け抜ける子供たち。向うは昭和新山のドーム。