578 異郷の冬

アカンサス地中海沿岸が原産のアカンサス。デザイン化されてギリシャ時代の建築から日本の唐草まで繋っている文様だという。壁紙や布地のウイリアム・モーリスのデザインが気に入って5年ほど前に苗を買った。季節はとうとう雪になって、間もなく葉は枯れ、根は凍てついた土の中で春を待つ。何の因果か日本で暮らすことになり、何とか種子を付けようとした花が雪をかぶっている。

577 北の砂糖

製糖工場池澤夏樹の「神々の食」に多良間島の黒糖が紹介されていた。甘さは生き物たちの安全な食の裏付。古来から砂糖を担ってきたのはサトウキビだが、北国北海道ではビートが砂糖となる。掘り起こされたビートはまだ畑に山と積まれていて、冬の間計画的に出荷される。伊達市にある北海道製糖の蒸気は砂糖生成の烽火。南国の黒糖も旨いが、この地のグラニュー糖も甘党には捨てがたい。

576 樹林の向こう

樹林の向こう今年の秋はゆっくりと過ぎてゆき、いつもの年よりも晩秋の落ち着いた風景を味わえた。公園や寺の裏庭の鮮やかな紅葉もよいが、林を歩いていて巡り合った秋の佇まいや、霜を受けた草紅葉の沈んだ色合いに心を奪われる。

風がふと止んだ時、息をふっと吐いて心を止めた時、目に映る色と風景は一期一会の「時」との出会いだ。

575 変わらぬものは

洞爺湖中島人のいのちはせいぜい100年。江戸時代に生まれた曾祖父と子供の時に話したけど、まあそれが限度。この湖は10万年前のカルデラ。見える中島は5万年~3万年前の激しい噴火でできたという。たっぷりと水を湛えて、なんという静けさ。洞爺湖の風が凪いで、波も霧も、時間も止まったと思った。しかし、明日の天気は分からない。人も風景も乗せて、やはり時は流れていく

574 時雨の後の

昭和新山ドーム時雨があって、輝いていたカラマツの葉も今は落ち込んだオーカー色。暗い空から少しだけ光が漏れて昭和新山の溶岩ドームの噴気が逆光に浮いた。生成当時は900℃もあったというドーム本体は今でも充分に熱量を保持していて、滲みこんだ水分は地下から供給される熱で蒸気となり、場所によっては勢いよく吹きだしている。

573 斜光を受けて

有珠山山頂11月12日10時。壮瞥温泉町から見上げる有珠山。斜光に山頂部の様子がレリーフとなって浮き出ている。白い樹々はまだ若いシラカバ。画面の下に見えるのはドロノキで、どちらも火山の上の先駆植生の代表者だ。山頂は一番高く見える「こぶ」の向こう側にある。この辺りには旧有珠山ドームの上に乗っていた天然煉瓦の赤い礫が残っていて、右の大岩もドームの忘れ形見。

572 カケスの季節

ミヤマカケス季節はめぐり樹々の葉は寒風に舞い散って、明るくなった林にカケスたちが舞い戻ってきた。カラスの一族とはいいながら、ターコイズブルーの翅飾りをアクセントにふわりふわりと移動するシャレ者だ。北海道に棲むミヤマカケスは胸元から上が褐色で目が黒い。一羽が栗の実を見つけて咥えて来た。仲間とおしゃべりしながらのブランチでブランチ。

 

571 源太穴火口

源太穴明治43年(1910年)の有珠山山麓噴火では45個の火口が開き四十三(よそみ)山が隆起した。民家や畑のすぐそばだった。その時湖畔に発見された温泉が洞爺湖温泉の始まりとなった。その東の壮瞥温泉の住宅から400m離れた山腹にこの時の噴火最大の火口「源太穴」が見える。画面中央やや上、朝の陽に映えるカラマツの黄と白いドロノキの樹冠に囲まれて長径200m火口が黒く開く。

570 観天望気

昭和新山ドーム風の吹きようで命にもかかわる生活をしていた漁師たちは、周囲の事象を拠り所に天候を判断した。11月8日朝、家から見た昭和新山溶岩ドーム東面。右側の噴気口からの水蒸気がドームを半周して流れている。明け方の小雨(湿雪だったかもしれない)が浸み込んだレンガ色に白い蒸気が際立って見える。朝の予報は気温0℃、湿度92%、北の風だった。予報とぴったりの鉢巻き水蒸気。

569 壮瞥穴を掘る

壮瞥穴壮瞥七不思議の一つ、「壮瞥穴」の生成を探る目論見が進行中だ。近年見つかったいくつかの壮瞥穴の調査や試掘が、洞爺湖有珠山火山マイスターでもある北翔大学、横山光准教授を中心に進められている。今回の試掘は壮瞥穴の持ち主(穴が開いたということ)でもある中山工務店の協力があってのイベントである。三松三郎さんらが行った以前の調査はスコップを使ったというが、さぞかし大変だったろう。 写真の中央左の穴が壮瞥穴。その脇を4mほど掘り下げている。ほぼ均一なテフラの堆積やその下の軽石層の存在などから、今まで考えられていた壮瞥穴の生成機序とは、異なる結果が出るかもしれない。そして生成年代は? 結果の公表をワクワクしながら待っている。