657 語り継ぐ 投稿日時: 2016年7月9日 投稿者: nizaemon 有珠山ロープウェイで上がると70年前に誕生した昭和新山ドームが足下に見える。その後二回の噴火があり、その上、次の噴火への折り返し点は過ぎているともいわれる。この地域には40名の洞爺湖有珠火山マイスターがいる。自然災害を語り継ぎ、それに向き合う暮らしを修学旅行の生徒たちに伝えるのも役割の一つだ。いつ、どこで、どんな噴火が起こるのか、予測はできない。
656 暮らす 投稿日時: 2016年7月4日 投稿者: nizaemon 復元された竪穴住居。煙ったく湿った空気と闇の空間。しかし慣れると思ったより広く静かな空間があり、ここで火を焚くと誰かが帰ってくるような気がする。数千年も昔の縄文時代、我々の祖先はここでどのような暮らしをしていたのだろうか。これぞ「たつき」の現場だ。生身のわたし自身だったらどう生きるのか、生きてゆけるのか、家族は、仲間たちは、そのあたりから考えてみる。
654 大南風・おおみなみ 投稿日時: 2016年6月25日 投稿者: nizaemon 日本海にあった低気圧が発達し、梅雨前線を引き連れ、この辺りを北上中。夜来からの雨風は日中になっても止まず、昭和新山の屋根山のドロノキ林は吹きあげられて白い葉裏を見せ、山は銀色のシーツで包まれたように見える。普段は葉裏に隠れているこの町特産のサクランボウも強い南風に煽られて、美味しそうな色がよく見えている。今年の成りは良いようだ。あと一週間で味が乗る。
653 有珠山ゴチック 投稿日時: 2016年6月24日 投稿者: nizaemon 久し振りの有珠山遊歩道。ロープウェイ山頂駅を出て火口展望台へ向かう。大有珠の山頂近く、岩塔が歩くに従っていくつも見えてくる。この尖塔(ピナクル)はまだ名前を持っていない。山岳用語のピナクルもバットレスもゴチック建築に対応する用語だ。まさしく有珠山ゴチック。江戸時代末期に誕生した大有珠ドームは、1977からの噴火で揺れに揺れ、崩れ残ったのがこの大伽藍。
652 かはたれの月 投稿日時: 2016年6月22日 投稿者: nizaemon まだ闇が残る早暁午前4時。昭和新山の上には月が残っている。北国の夏は早くから夜が明ける。まるで白夜のようだ。月を写しに開拓記念公園へ向かった。月齢は17日の月でまだ丸い。北西から冷えた風が流れ込んできていて、新山ドームの蒸気が月を覆わんばかり。人の姿も見えず小鳥も啼かない。冷えた6月の人はまだ熟睡の時刻。
651 ハシボソガラス 投稿日時: 2016年6月20日 投稿者: nizaemon 6月14日から我が家の庭にやってくるハシボソガラスの親子。左端が母親で、つがいがこのテリトリーを持って確か8年目。この2年間はハシブトガラスと競合したのか孵化に失敗した。今年は3羽孵化した。これから、ねだっても餌をあまり与えなくなる。親より太った子ガラスは痩せながら自活の試練を迫られる。この母ガラス、歩くとき右足を引きずっているようだ。親は大変だ。
650 赤銅色に 投稿日時: 2016年6月16日 投稿者: nizaemon 森の緑は濃さを増し、空ではアマツバメが弧を描く。タンポポの黄金色はいつの間にか育ち盛りのギシギシやノラニンジンに換わった。隣家の草地にコウリンタンポポの群落を見つけた。10年前にはほんの数本だったのに。地面にひれ伏すロゼット葉は刈られや踏みつけに強い。シロツメクサ、ブタナも見える。将来、赤銅色のコウリンタンポポが北海道の初夏を演出するかもしれない。
649 フタスジヒトリ 投稿日時: 2016年6月14日 投稿者: nizaemon ベージュに黒のストライプ。粋な色合いのヒトリガ科の蛾だ。種小名の bifasciata は「二帯の」の意味。目に見えるのは擬似眼で、触角の付け根に目がある。「飛んで火に入る」の火取り蛾。炎天下、道路をモコモコ横断している熊毛虫はこの仲間の幼虫でクワなどが食草。フェロモンを互いに小さな触角で互いに感知しながらの裏庭でのめぐりあい。腹太が雌で紋様も少し異なるようだ。 一夜の宿を貸したついでにそのまま自然にゆだねる。Good luck。
648 昭和新山ドーム 投稿日時: 2016年6月11日 投稿者: nizaemon 田植えの済んだ田んぼに新山のドームの影が映っている。有珠山の外輪の高さ(500mくらい)に雲がかかっている。この季節、道南の太平洋岸に発生する海霧(この地方ではジリという)がやって来ている。大有珠のドームは見えないから、新山の天然煉瓦製の褐色のドームがひときわ目につく。70数年前に生長したドームは周囲に屋根山もせり上げ、この特異な形の火山となった。
647 湿原の風景 投稿日時: 2016年6月9日 投稿者: nizaemon 道東の植物を追っての旅の最終日、釧路湿原を見ようと釧路町の細岡展望台に立った。花の細部にこだわり続けた五日間だったので、ここからの眺めは、近接撮影から超広角レンズへと視野が開けた瞬間であった。感嘆の声を上げようか、声を呑みこもうか。大きな風景に身体から力が抜けてゆく。誰かがつぶやく。「ここは日本ではない」大げさな、でもわかるよその気持ち。 1km先、悠々と流れる水にボートが見える。いつか読んだ、ジェローム・k・ジェロームの「ボートの三人男」を思い出した。若い日の開高健はここの下流、雪裡川で地元の画家、佐々木栄松に案内されてイトウを狙い、「完璧な、どこにも傷のない、希な一日」と漏らした。