930 浪費する生態系 投稿日時: 2018年8月9日 投稿者: nizaemon 伊達港の岩壁の上に光沢のある黒い砂山があった。近寄ってみたら米粒大のムラサキイガイの稚貝の堆積だった。俵に入れたら黒米だ。定置網を引き揚げ、積み上げて干した跡らしい。生物の世界は壮大な浪費の上に成り立っている。北の海は潤沢だとはいえ、この、いのちの散財は何だ。一緒に10種類ほどの貝類が見つかった。写っている貝殻はエゾワスレ、巻貝はエゾヨウラク。
923 タフォニの白い崖 投稿日時: 2018年7月23日 投稿者: nizaemon 白い凝灰岩と火山砕屑岩の白い断崖が飛沫や潮風、塩類が析出する時の結晶圧などで窪みができ、連なってtafoni という独特の模様を作っている。もっと近寄れると圧倒的な印象なのだが残念。「涙」につながるアイヌの神話があると聞く。室蘭層といわれる白い長い崖は「銀屏風」の名で市民に親しまれている。ずいぶん昔、右手の奥の崖から降りて、この浜を磯伝いに歩いたことがある。
922 カマイルカ 投稿日時: 2018年7月23日 投稿者: nizaemon 室蘭沖合十数㎞、緩やかなうねりの凪いだ海に、100頭ほどのカマイルカを見た。ガイドはクジラ類の専門家、笹森琴絵さん。断崖が続く海岸線のハルカラモイ、マスイチセ、タンネシラルなどの私の同行者18名への説明は私が勝手にしたが、クジラ類の探索は屋上のハッチに陣取った笹森さんのお仕事。この観光船には外国の方も乗っていてイルカの群れに感激一入。有難うございました。
913 クズの勢い 投稿日時: 2018年6月19日 投稿者: nizaemon アルトリ岬近くの海に面した斜面から、大量のクズの根茎が見つかった。暖地のものにはかなわないが、径10㎝近いのもあった。葛澱粉、葛布で知られていたが、今では高速道、鉄道敷、樹木への害が深刻だ。道央が北限だったが、さらに北上中とも聞く。ヨーロッパのイタドリ同様、北米では日本から持ち込まれたクズの処置に悩んでいる。人類の生活圏の拡大に伴う生態系の撹乱は留まるところを知らない。
912 有珠山山体崩壊 投稿日時: 2018年6月19日 投稿者: nizaemon 有珠山はかつて富士山型の火山で、7~8000年前に噴火湾方向に大きく崩壊し、流山地形や有珠湾などが形成されたと聞いていた。だが、崩壊したのはもっと古い年代という説が縄文遺跡研究グループから報告され、興味津々だ。山体崩壊の資料採取勉強会が行われ参加した。分野の異なるいくつもの研究結果が提唱され、論議されて定説が導き出される。年代測定法が進歩した今、目が離せない。面白くなってきた。
910 幸連(こうれん)5遺跡 投稿日時: 2018年6月10日 投稿者: nizaemon 津軽海峡に面した木古内町幸連5遺跡の遺跡見学会があった。海成段丘上、4000年以上前の縄文中期の遺跡で、大規模盛土遺構、幾重もの大型住居跡について説明を受けた。フラスコ状を含めた100基以上の土坑から生業のたくましさが伝わる。さらに時が経った10世紀、遺跡の上に降りそそいだ白頭山テフラ(B-Tm火山灰)の白い堆積を示され、時の流れと遺跡で生きた先人達を思い、その重い意味を足裏にしかと感じた。
908 シコタンタンポポ 投稿日時: 2018年6月4日 投稿者: nizaemon 昨年はこの場所には一株も確認できなかった。2015年には10株ほどあったが、その後見つからず、今年はこの1株だけ。ほぼ同じ場所に復活してくれた。シロヨモギ、ハマエンドウ、ハマヒルガオ、コウボウムギなどの海浜植物に混じって、海の飛沫のかかる場所に咲くニホンタンポポだ。この時期、トッカリショ、マスイチなどの海の断崖にもしっかりと根を下ろしている。
907 イタンキ浜を歩く 投稿日時: 2018年6月4日 投稿者: nizaemon 大潮ではないが十分に潮が引いていると考え出かけた。今日の満干差は130㎝。新緑と室蘭層の白い断崖が砂地の水面に映っている。この崖は700万年も前の海底火山から噴出した火山灰や礫が海中で堆積したものだ。日本海ができ、日本列島の形が形成された頃のことだろう。この浜辺を裸足で歩く。地球を愛おしく感じながらどこまでも歩く。
890 サメハダヘイケガニ 投稿日時: 2018年4月23日 投稿者: nizaemon 国縫(くんぬい)の浜でヘイケガニに似たカ二を見つけ、鋏脚上面の毛などでサメハダヘイケガニと同定した。向こうの突堤は国縫川河口。差別交易に対して蜂起したシャクシャイン軍が松前藩・幕府軍と対峙した川だ。激戦後、シャクシャインは和睦を装った松前藩陣営での酒席で謀殺されたという。どうだろう350年前の無念の形相に見えませんか。
888 渡島(おしま)駒ヶ岳 投稿日時: 2018年4月14日 投稿者: nizaemon 室蘭市崎守町から噴火湾を隔てた40㎞先の駒ヶ岳。残る雪形に駒は居なかった。江戸時代は内浦岳といった。1640年噴火に先立つ山体崩壊で富士山型だった山頂は崩れ落ちて大津波をひき起こし、こちら側で住民700名が溺死した。激しい噴火をする火山であり、私が長万部町に住んでいた1945年頃の海岸線には、打ち上げられた1929年噴火の軽石の大きな堆積が至る所に見られた。