130 先史を釣る

チマイベツ川 この小さな流れ込みは法的にはサケが遡上する川とは認められてはいないらしい。禁止区域の規制がないため、季節になるとサケとそれを狙う釣り人は毎年忘れずにこの川へ集まる。知里真志保・山田秀三「室蘭市のアイヌ語地名」(1960)にはチマイペッ・オッ・イ(焼乾鮭・多く・有る所)とある。小屋掛けして冬の食料を得た時代があったのだろう。水源は深い森にあるが河口の水量は少なく昔日の面影はない。遠く有珠山、昭和新山が望まれる。

110 火の山の森の儀式

森の儀式 火の山有珠山で「星祭」が開かれている。ロープウェイを使った夜のイベントだ。先だって白老コタンのエカシによる「山の神に祈る、山の祭り」ヌプリコロカムイノミの伝統儀式が行われた。ステージの後の森は1977-78噴火後に回復したトドマツ、エゾマツ、ドロノキの森。今ではこんなに深く緑濃い森だが、噴火後はすべての植生が失われて、リセットされた後に再生され出来上がって「30年の森」だ。噴火という大地のくしゃみ程度の出来事で一つの小さな破壊がおこり、命の再生が当たり前に進んでこの景観が作られた。屹立する岩は旧「土瓶」の本体ドームの崩れ残った名残りの岩峰。次の噴火でこの山はどのように形を変えて行くのであろうか。この夜、寒く霧に覆われた夜空だったが、外輪山から見下ろす伊達の街の夜景は噴火など想定外の静けさで、足元に広がる星空を思わせるほど見事だった。

99 うまみを濃縮

ホタテのスモーキング ここのジオパーク、陸水もあれば海もある。豊かな海の幸で知られる噴火湾は内浦湾の呼名もあって、四季折々、みごとな食材が膳を賑わしてくれる。前浜で採れるホタテは滋味豊かで実に甘い。それをサクラで燻してみた。天日塩のみ、他に一切味付けはなし。旨くないわけがない。濃縮された風味は口いっぱいに広がり、燻香は鼻に抜ける。5月あたりに出回る稚貝は、肝臓ごと強めに燻す。寒中は生殖巣が見事に大きく、ほっくりとしてこれがまた旨い。

70 大伽藍

凝灰岩の崖 室蘭絵鞆半島の所々、イタンキ、トッカリショ、タンネシラル、チヌイェピラなどにこの白い断崖が顔を出す。新第3紀中新世に海底火山から噴出した堆積物で、成層の灰白色の部分は凝灰岩、灰色は安山岩の砕屑層だという(北海道地質百選・田近氏)。帯状の黒っぽい部分は火砕岩塊だが、詳細は不明だ。この崖はまだ人の手がついてはおらずウミウたちの聖域となっている。

68 海蝕洞

海蝕洞 室蘭の絵鞆半島の太平洋側には100mを超す切り立った断崖が随所にある。岩礁には潮上帯から潮下帯まで豊かな生物群集が見られ、特に潮間帯の群集は北太平洋を特徴付ける実に見事な生態系を形成している。この海は生物地理学上かけがえのない要衝の地なのだ。白い断崖はかつての海底火山の噴出物だ。その下部にはいくつもの奥深い海蝕洞が口をあけている。

海蝕洞Ⅱ 室蘭市はあまり海岸の素晴らしさには眼を向けていないようだ。祖先が残してくれたイタンキからエンルムエトモまで緑なすミズナラで覆われていた丘陵や山は削られ、あれよの間に防波堤が沖まで伸び、岬や小さな入り江は埋め立てられてしまった。この街が誇りとし拠って立つところは、岬に囲まれた小さく豊かな入江と、生きものたちが安らげる自然のままの海しかないのだが。

67 ワレカラ

ワレカラ 食膳の皿の上で、「ワレカラ」に出会った。この季節のありがたい御到来物のホタテの稚貝を茹でたら、混じっていたムラサキイガイと一緒の御登場と相成った。ワレカラは甲殻類で膨大な種群を持ちワレカラ科を構成する。砂浜でとび跳ねるヨコエビと近縁である。海藻や定置網、ホタテ養殖の籠に群がって生活している。極端に進化・退化した形態で、言うなれば昆虫のナナフシのようにそれぞれのパーツが特殊化している。ポパイのような腕もある。つぶらな眼もある。もちろん食べられるし、佃煮にすると美味しいはずだ。アミのように。

 清少納言の枕草子、第41段 「虫は 鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。・・・」とある。高校の古文の時間に習ったのを思い出した。調べ直したら、まさしく生きもののワレカラ。清少納言の「われから」は藻塩や海藻の乾物からの由来だったのだろう。よく知られた段の中で、趣がある日常の虫の一つとして顔を出している。ワレカラをよく目にする生活が平安の時代にはあったのだろう。雅な和歌中心の時代に、さらりと随筆風に登場させる感性とその文章はじつにリズミカルな今風で、1000年前のものとは思えない。その後も、この奇妙な生き物は新古今和歌集などいくつかの書物に、御目見得している。昔の人は自然そのものをよく見ていた。そのあたりぜひ少納言にお会いして、「われから」の話?など、夜の明けるまでしてみたいが、残念ながらそのような才覚は私には無い。「いとすさまじ」などと書かれておしまい。却下。

64 春満月

春満月 六日の夕方、家人の「あっ、春満月」の声につられ、見ると雪の残る山の端に見事な満月。カメラを引っ掴んで、凍っている泥道を走りすぐに撮ったのがこの写真。この後、「月に叢雲」の風情となり、寒さに退散した。九日、十日は春の大潮で、潮位が-4cm、-2cmと一年で一番の引き潮となる。長靴を履き、ピンセットとカメラを持ち、室蘭の磯へタイドプールの観察に出かけよう。

60 紐

綱・細引き・紐 室蘭、電信浜の近くに住むY老人から、浜に打ち上げられたという紐をいただいた。海草などと一緒に打ち上げられていたのだという。もつれを解き、水で洗って丁寧に巻いてある。海水に浸かっていても、この丈夫な合成繊維の紐は劣化が遅く、人の手を離れた紐やロープは海の中でも海辺でも、今では厄介で目障りなごみとなっている。

 人は昔から綱や紐をよく使った。なければ暮らしが成り立たなかった。近くの山から樹を伐り、枝と組み合わせて家を作ることが出来たのも、強靭な蔓や縄で材料を目的に合わせたいろいろな結び方が工夫された結索法があってのことだ。農作業でも、草や木の繊維をうまく利用し、綯い、編み、より強靭な紐とし、目的に合わせ多用した。平素の生活でも伝えられてきた応用力は潤沢だった。刈った稲を束ねたのはそのまま稲藁だった。海の仕事に至っては船の上でのロープ捌きから、網の編み方、釣針の結び方にたつきと命がかかっていた。釣り糸は天然の絹糸である。旅する人にも行李がついて回り、「行李結び」があった。すべて知恵と手仕事が暮らしを支えていた。私たちはそれを文化として受け継いできたはずだ。日々の衣食住に蝶結びがあり男結びがあり、子どものころから親に繰り返し教えられた。荷物を送るにしても、今ではずいぶん簡略化され、即席で、便利になった。その反面、私たちはどこかに「紐」と、それをうまく扱う指先の「技」を置き忘れてきたらしい。

 私はいまだにロープや細引き、紐類をため込む習性がある。人様に荷物を送るときにも、小包用の麻紐で梱包するのが習慣になっている。「習い、性となる」なのだ。Yさんもきっと紐を捨てられない人なのだろう。感謝しながらも、頂いた紐を手にしてつくづく考えた。はて、何に使おうか。相手は土にかえりにくい丈夫すぎる紐だ。

45 イガイ Mytilus coruscus

美味しいイガイ 室蘭産のイガイMytilus coruscus ワインで蒸し、大粒を頬張る。磯の香りが口いっぱいに広がる。縄文時代から今に続く海の民の官能。オレンジ色は卵巣だ。殻の内面は碧緑に輝く真珠色。たまにしゃりっと身の中の小ガニが歯に当たる。それは寄生ガニのピンノテラ。思わぬ甲殻の味わいも余禄にいただく。当地には大きく幅広のエゾイガイCrenomytilus grayanus も産する。

37 流れ者 エチゼンクラゲ

エチゼンクラゲ アルトリ岬で見つけた裏返しのエチゼンクラゲ。 近年各地の沿岸で漁業を妨害し話題になっている。1958年、室蘭の砂浜に径1mをほどの個体がたくさん漂着し、足で上に乗ってもつぶれなかった経験がある。その年はサンマ漁に被害を与えた。大きいが遊泳能力が弱いのでプランクトンに含まれる。東シナ海が出発点という。あらためて海は南も北も繋がっていると感じる。