85 揚羽蝶

キアゲハ   タンポポの上にやっと降り立った黄色い揚羽蝶。「揚羽」とは翅を揚げて止まるからというが、まだそこまでの威勢はない。この名、どこかに艶っぽさが私には感じられます。まだ大きな羽で舞うことが出来ぬ、羽化後間もない幼蝶だ。あどけなさが残るこの小さな春型はどんな春を過ごすのか。2、3週間、一所懸命の充実した命。食べ物はエゾニュウ、アマニュウなど風味濃いセリ科。

77 ウスカワマイマイ

ウスカワマイマイ この辺りでよく目につくカタツムリはエゾマイマイとサッポロマイマイだが、このウスカワマイマイは家の周囲でよく見つかる。春恒例の庭仕事で落ち葉を片づけていたら、ころっと小さな二個体が出てきた。まだ気温も10℃位なのだが、ペアリング(交接)中。この地方は雪が少なく、-20℃近くまで下がる。ぎりぎりで生き延びた命を次世代へ繋ぐ。生きものたちの漲る生命力に乾杯。

75 傾いたプール

傾いたプール 旧洞爺湖幼稚園の傾いたプールにも春がやってきた。エゾアカガエルの卵塊がいくつも浮かび、もう泳ぎだしているのも見つかる。ジオパーク関連の会議を終えて皆で繰り出した。ここは有珠山2000年噴火の遺構で、火山と生活を考える、格好のジオサイトだ。600m先の噴火口からの噴石が、遊具のパイプを曲げ、園舎の壁に突き刺さり、インパクトクレーターを園庭のあちこちにつくった。このプール、誰かがクリノメーターをあてたら、7度の傾斜角が出た。

74 春の朝に

エゾリス 昭和新山を迂回するドンコロ山の下り坂、エゾリスが死んでいた。二十分ほど前のある瞬間の出来事だよと、ミヤマカケスが騒いで触れまわっている。厳しい冬をやっと乗り切ったやわらかな朝なのに。   私の片手に余る大きさで、ずっしり重い体。藪に置いてやろうと思ったがここはノスリのホームレンジだし、抱卵中のハシブトガラスの巣もあるようだ。道の脇に寄せて、彼の身体を春の生命たちの成行きに託すことにした。

69 北帰行

ハクチョウ ハクチョウの群れが行く。毎年、リンゴとサクランボの剪定作業をしながら脚立の上から見送る。啼き交わす声は遥か遠くから、姿も見えない向こうから聞こえてくる。猟犬の群れが獲物を追うような声だ。今日は午前中に四群。首を磁石の針のように北へ向け、精一杯に伸ばし何一つ躊躇することなくひたすら頭の上を通り過ぎてゆく。私だけが取り残されてしまう。連れて行ってくれ。

68 海蝕洞

海蝕洞 室蘭の絵鞆半島の太平洋側には100mを超す切り立った断崖が随所にある。岩礁には潮上帯から潮下帯まで豊かな生物群集が見られ、特に潮間帯の群集は北太平洋を特徴付ける実に見事な生態系を形成している。この海は生物地理学上かけがえのない要衝の地なのだ。白い断崖はかつての海底火山の噴出物だ。その下部にはいくつもの奥深い海蝕洞が口をあけている。

海蝕洞Ⅱ 室蘭市はあまり海岸の素晴らしさには眼を向けていないようだ。祖先が残してくれたイタンキからエンルムエトモまで緑なすミズナラで覆われていた丘陵や山は削られ、あれよの間に防波堤が沖まで伸び、岬や小さな入り江は埋め立てられてしまった。この街が誇りとし拠って立つところは、岬に囲まれた小さく豊かな入江と、生きものたちが安らげる自然のままの海しかないのだが。

67 ワレカラ

ワレカラ 食膳の皿の上で、「ワレカラ」に出会った。この季節のありがたい御到来物のホタテの稚貝を茹でたら、混じっていたムラサキイガイと一緒の御登場と相成った。ワレカラは甲殻類で膨大な種群を持ちワレカラ科を構成する。砂浜でとび跳ねるヨコエビと近縁である。海藻や定置網、ホタテ養殖の籠に群がって生活している。極端に進化・退化した形態で、言うなれば昆虫のナナフシのようにそれぞれのパーツが特殊化している。ポパイのような腕もある。つぶらな眼もある。もちろん食べられるし、佃煮にすると美味しいはずだ。アミのように。

 清少納言の枕草子、第41段 「虫は 鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。・・・」とある。高校の古文の時間に習ったのを思い出した。調べ直したら、まさしく生きもののワレカラ。清少納言の「われから」は藻塩や海藻の乾物からの由来だったのだろう。よく知られた段の中で、趣がある日常の虫の一つとして顔を出している。ワレカラをよく目にする生活が平安の時代にはあったのだろう。雅な和歌中心の時代に、さらりと随筆風に登場させる感性とその文章はじつにリズミカルな今風で、1000年前のものとは思えない。その後も、この奇妙な生き物は新古今和歌集などいくつかの書物に、御目見得している。昔の人は自然そのものをよく見ていた。そのあたりぜひ少納言にお会いして、「われから」の話?など、夜の明けるまでしてみたいが、残念ながらそのような才覚は私には無い。「いとすさまじ」などと書かれておしまい。却下。

63 ぼやぼやしていると

カワゲラ sp. 伊達市館山の雪の残る丘の上から有珠山を撮っていると、足もとを小さな虫が走った。こんな時期に昆虫か。そう言えば伊達の木村益巳さんからセッケイカワゲラのニュースが送られてきていた。その仲間の翅のある成虫だった。生物は時間的にも、場所的にもすべての空間に進出している。特に昆虫の世界はそうだ。地球は虫たちの星。でもね、ぼやぼやしていると間もなくやって来るハクセキレイに食われちゃうぞ。

54 春の声

巣材を運ぶハシボソガラス(雌) 雪解けの斜面から枯れ草を運んできているが実のところ何のためにそんなことをしているかこの雌は知らない。春の光に誘われて、身体もそうなって、着実に巣を作り交尾し子供たちを育てる。強い本能に後押しされ順次ステップを完結させ次のステージへ進み、事の結果DNAのすべてを次の世代に繋ぎ渡してゆく。ヒトも深層では全く同じなのだけれど、、。我々には文化の蓄積や育児書もちゃんとあって、よかったね。

53 瞬膜

ハシボソガラス カラスはよく見てよく考える。眼が命だ。地上では眼と嘴と足で何でもやってのける。クルミを車に轢かせ、なんとかぎりぎり腹を満たす日暮らしカラスの眼が、瞬間白く写った。人の瞼が眼を涙でうるおしゴミと悲しみを拭うように、文なしのカラスの青白く半透明な瞬膜も同じ役割をになう。人の瞬きと同じくらい頻繁に動く。数億年も昔に祖先が水中で眼を得た時からの習いだ。人の瞬膜は退化して眼頭に少し残っている。