1058 ハマナス

ハマナス海からの明るい風が吹いた瞬間、ハマナスの酸味のある強い香りが脳ミソを駆け巡った。私が育ったのもこのような海岸、その時の砂浜の流木の風景と甘い爽やかな匂いを思い出す。匂いとともに記憶が鮮烈に蘇るのは、生命にかかわる素直で直截的な感覚だからだろう。匂いは思い出も連れてくる。 室蘭イタンキの鳴り砂の浜には、太古からの風景と海浜植物が今もなお残されている。

1057 したたかなスギナ

したたかなスギナジャリ道際にシバザクラと銀葉のナデシコを植えた。花がナデシコに代わるころスギナが盛大に伸びてくる。胞子茎のツクシは気にならないがスギナの繁茂には手を焼く。光合成で栄養するから、理論的には徹底的に葉を摘むと根は枯れるはずだが、数億年前から命をつなぐトクサ科のこの植物の強かさには追いつけない。成り行きに従って、スギナごと花を楽しむのも悪くはない。

1056 翔べなかった日

コクワガタ薪にしようと積み上げていたサクランボの朽木を焚火台で燃やした。翌日、燃え残りの中からすっかり炭化したコクワガタを見つけた。脇には黒焦げの幼虫も。すまん。かわいそうなことをした。おまえたちのこと気にも留めていなかった。凍てついた冬を二回耐え、やっと成虫となったはずだ。虫に落ち度はない。不条理な話だ。飛び立とうとしていた空は高く、吹く風は緑なのに。

1049 生命潮流

ハクチョウ遥か高い空を小さく鳥が飛んでいる。望遠レンズで写し、拡大したらハクチョウだった。二羽だけ、方向は北。あの高さから何処まで見通せるのか。ただひたすら羽ばたき、啼き交わし風に乗って、ついにはシベリアにたどり着く。導く本能には理由や目的はない。何があっての、なぜの二羽なのか。私にはわからない。巡ってきた季節を見下ろし、時の奔流に乗るいのち。生命潮流。

1048 失ったもの

失ったもの失ったものを取り戻すのは容易ではない。自然は向こうに見える絵葉書となり、人は自らの感性で捉える自然を失ってしまった。 瞬間に見つけたもの、心が捉えたものは真実だ。向こうではなく、手を伸ばすとそこにある。山の尾根と広葉樹林、湧き上がる雲。自然を構成する基本のパーツであり、それ自体もそれを取り巻く現象も皆、意味を持ち単純でかつ美しい。ここから始めよう。

1046 ねぐらは有珠山

有珠山のカラス夕暮の欝金色の空を、カラスたちが有珠山へと向かう。まずはロープウェイの太い索に集結し、ねぐらは昭和新山のサンゴ岩下の林。百羽、二百羽を超える。久保内や立香、滝之町あたりを行動圏 (home range) にしている集団だろう。巣作りが始まっている縄張り (territory) をもつ個体群や、いつも群れて移動している若鳥集団も一緒。ハシブトガラス 、ハシボソガラス合同の日周行動だ。

1044 静かな雪

静かな雪風のない明け方、静かに降った雪は、小さな枝の上にもゆっくりと積もって、揺れもせず落ちもせず。春の柔らかな雪の持ち味だ。耳を澄ますと雪の匂いがした。静寂は匂いを連れてくる。凛とした緊張感はないが、それでも精一杯に撓み、重さを堪えて、腹をすかせたシジュウカラが、傍をぶんと飛んだだけで、重さのない雪がはらりと落ちた。   3月3日、雛の日の朝。

1042 カワラタケ

カワラタケいずれ薪にと数年前に伐って裏庭に積み上げたサクランボの古株に見事なカワラタケが生え、あまりに綺麗なので再度登場。群青がかった墨色の同心紋は日本画の雲の意匠でもあり、また、青海波をも思い起こさせる。色調、柄、形態は多様で、その生育する状況の中で一株ごとに完結されてゆくのだろう。表面は天鵞絨状の密毛に覆われ、柔らかな光の反射がある。肉質は鞣革状で無味。

1041 カササギ

カササギ室蘭市イタンキ浜近くの市街地で二羽のカササギを見つけた。精悍な顔つきの尾の長い小型のカラスの風情。行動の様子からつがいと思われる。渡りをしない定住性の鳥だからこの辺りに営巣しているのだろう。旧北区を物語る動物でユーラシア大陸の人々の生活と関わってきた鳥だ。大陸を離れての日本の分布やこの辺りの飛び地的な分布には謎なところが多いという。(ブログ586)

1040 イトラン 

イトラン Yucca filamentosaYucca filamentosa。毎年夏の終わり、背の高い花茎の頭頂に数百の大きな白い花を付けてくれる。ユッカ属で葉の縁から白い繊維を剥離する。お隣さんから株を分けて頂いたが、原産は北米で、砂漠地帯の厳しい環境の植物だから、何とか北海道でも生き延びるのだろう。乱れた常緑の葉と、寒風に晒された白い繊維は、隠遁者の弊衣蓬髪にも見える。filamentosa は糸状のという意味。