952 北限のサンショウ

北限のサンショウ野生のサンショウの実が色づいた。この魅力的な植物、サンショウは北海道南部が北限。天日で乾かし黒い種子を取り除くと、鮮烈な味と香り「麻辣」の「麻」となる。中華、それも四川の料理には欠かせない。うなぎの蒲焼用のサンショウの粉を使ったが全然だめ。初夏の緑色の実のシャープな味、秋の乾した皮の噛みつく味覚は、身体と脳味噌をシビレさせる。極上の野生の恵みだ。

951 秋の色

リンゴ「フジ」晩生のリンゴ「フジ」がやっと色付いてきた。霜が降りる頃が収穫どきで、まだ味は乗っていない。枝を透かして昭和新山と有珠山。山の景色も秋らしくなってきた。しかし、大型で強い台風25号が韓国をかすめて日本海を北上し、二日もすると道南に上陸するコースだ。収穫を早めるか。21号、24号、25号。台風がやってこない北海道だったはずだが、このところ台風の話で持ちきりだ。

950 洞爺湖饅頭島

洞爺湖饅頭島洞爺湖中島の南に300m離れて浮かぶその名も饅頭島。直径は200m。地形図で見ると湖底60mから急傾斜で持ち上がった山の頂上に当たる。当然、小さな火山の山頂で、噴火は約5万年前の話だ。中島から少し離れているので、シカは泳いで渡れず、植生は豊富だという。蛇が多い島だという噂があるが、ならば餌は何か、怪しい話だ。東側の切り立った深みで巨ゴイを見たことがある。

949 瀧不動尊・神輿渡御

壮瞥川神輿渡御9月28日は壮瞥町の瀧不動尊の例大祭で、ねじり鉢巻きに胴にさらしを捲いた若者が神輿を担いで壮瞥川を遡行する。神輿に乗るのははっぴ姿の二人の小学6年生。洞爺湖から流れ落ちる壮瞥滝の少し下流、澄んだ水にバイカモの群落が揺れる。祭りを楽しみにしている町民、子供を抱いた母親、連れ立った年寄りたち、写真愛好家たちも集まって、この日の川岸は大いに賑わった。

948 キタコブシの種子

キタコブシの種子一見、動物の糞かと思った。落果する前は紅色を帯びた緑色の10㎝位の果実だが、地面にあってはこの通り、絶大なる存在感を持つ。洞爺湖畔、遷移の終期にあるミズナラ、ハリギなどの成熟した喬木に混じってこのキタコブシは成長しているが、春の純白の花もその香りも誰も気が付かないだろう。それゆえのこの迫力なのか。根底にある意図は何なのか。いのちを繋ぐ戦略は奥が深い。

947 マタタビ

マタタビ尾根筋の林道で、支えとなる樹を倒さんばかりに盛大に繁った蔓の内側に小さな実を見つけた。コクワ(サルナシ)と思って枝を手繰ったが、果実の先が尖っており、へたもあるのでこれはマタタビ。葉の先が白くないのは花期を過ぎているからだ。漢方には興味がないので、数個の実を付けた枝を植物標本として頂戴した。黄葉はまだだが、季節は順調に熟している。

946 昭和新山西面

昭和新山西面晴れた秋空、屋根山を突き抜けた昭和新山ドームが良く見える。ドームに接する西面の屋根山は急峻だ。手前中央の灰色の部分は溶岩の成長によって持ちあげられた凝灰岩層で、植生が壊され崩壊が進んでいる。この上には柳原層といわれる木の葉の化石を含む岩塊が見られる。噴火後、70年の歳月が流れ、植生が進んだ部分、新たに浸食された崖面などから、様々な局面がわかってきた。

945 半月とドロノキ

半月とドロノキ澄んだ夜空に半月が落ちてゆく。月齢 7.4、上弦の月だ。昭和新山の屋根山に落ちかかるところを300mm望遠レンズで狙った。朝、双眼鏡で確認したら、月に重なるのはドロノキ。2㎞先だ。ドロノキは、秋の初め、ほかの広葉樹に比べひときわ早く葉を落とす。窓を開け切って月を追っていたら、体が冷えきた。私の好きな寒い季節がやってくる。 9月17日、21時54分撮影。

944 シダクロスズメバチ

シダクロスズメバチ近所のおチビさんの母親から緊急の電話。「3か所ハチに刺されたみたい」。踵と両手の親指の付け根が赤く腫れて痛みをこらえている。母親に退治された個体を調べたら、頭部の斑紋からシダクロスズメバチ。ジバチだ。刺された現場はアカマンマの生えた斜面。巣があるらしく数匹が飛び交っていた。少したって確認したら痛みは引いたという。安心。ハチに手向けのモモの上で撮影。

943 北海道胆振東部地震

胆振東部地震新聞紙面

地震から一週間が過ぎた。亡くなった方は41人となった。震源地の土地や家屋の破壊の爪痕は深く、厚真町7か所に開設された避難書には950人が不便な生活をしているという。北海道全域の停電は徐々に回復しているが、被災地ではまだ復旧せず、報道によると、最大火力発電所(厚真発電所)の全面復旧は11月以降だという。

全道的に食品の流通も滞って、パン、ミルク、食品類が店から姿を消した。生産がすべて電力に頼っているからだ。搾乳ができず、乳房炎をおこす乳牛も多かったと聞く。停電により、テレビ、ネットによる情報も入らず、北海道全域で電気が通るまでの数日、震源地の実情がわからないままだった。首都圏からの見舞いや励ましがあって、とても嬉しかったが、地震の全体像を掴めぬままの受け答えとならざるを得なかった。

この地震が厳冬期だったらどうだったのだろう。日常からの災害への対応を真剣に考えねばならない。