96 一夜限りの

ヒトヨタケ sp、 「ひとやねて、くやしやきみのふたこころ、うらみてはなく、うらみてはなく」こんな判じ文を思い出した。昨日はまだ小指の先ほどの、名前知らずのヒトヨタケ。朝の雨をほつれた傘に乗せ、今日はもう、自らの酵素で身の内から溶けはじめてこの体たらく。一夜で溶けてゆく覚束なさは、哀れなのか見事なのか。恨みをつぶやく暇もない。でも闇に紛れて襞という襞から胞子を落とし、次の世代はいま、どこか土臭い世界で眠りについている。

95 大有珠の岩塔

大有珠の岩塔 有珠山にロープウェイで登るとまず目につくのが大有珠の岩塔。1977年噴火前は大きなドーム状だったが、噴火に続くオガリ山の隆起で大きく変形して、揺れに揺れ崩れに崩れて残ったのがこの岩塔群。いずれも無名の岩。写真左上の赤茶けた部分は、159年前(1853年、嘉永6年)の大有珠ドーム誕生と同時に持ちあがった素焼きの煉瓦。昭和新山の赤いドームと同じ由来だ。

94 金銀珊瑚の

キンギンボク 眼下に噴火湾を望む有珠山の南外輪、風通りのよい遊歩道の左右にキンギンボクが花を付けている。甘い香りに昆虫が集まっている。開花直後は白色、やや時間がたつと黄色みが増し、盛夏、真っ赤に熟して二つ癒着したヒョウタン形の実を付ける。別名ヒョウタンボク。はるか足もとに見えるアルトリ岬の海岸にもこの群落がある。ここと同じような環境だ。だがここは35年前の1977年山頂噴火で植生が失われている。何処から運ばれてきたのだろうか。

93 クモの子を散らすように

クモの子 有珠山南外輪の遊歩道。日当たりのよい乾燥した草原に、孵化して間もない子グモの集団がいくつも見つかった。この季節はこの子たちの旅立ちの時。網の上で離散集合を幾度か繰り返し、風が吹いたくらいの何かの拍子に、同じく生まれた兄弟達がそれぞれの方角へ散ってゆく。別々な運命をたどって数匹残れば終わり好し。過酷な世界が待っている。クモの子達に幸あれ。

92 思い出のアンニンゴ

シウリザクラ シウリザクラが咲いた。桜とはずいぶん趣きが違っていて、調べて見るとより北方系のグループらしい。新緑の木陰に浮かぶ純白の総状花序はひときわ印象的だ。近似種のウワミズザクラの若い花序を塩で付けた「アンニンゴの塩漬け」を人からいただいた。30年も前の話だ。杏仁霜の香り、サクラ餅の葉を幾倍にもした濃厚で芳醇な香りが鼻に抜けた。今でも鮮明に思い出す。

91 幕の下りないエピローグ

有珠山火口群 有珠山の南外輪を歩いた。ホウノキの若葉の向こうに1977-78山頂噴火の 火口群が見える。12000mに達した大噴煙を立ち上げたのは、写真奥の小有珠の手前にできた今は無くなってしまった火口。その後の一連の噴火で手前の銀沼火口群が誕生した。もっとも激しく見える噴気はI(アイ)火口で300℃近くもあり、35年前の噴火の余勢をかってまだまだ地殻のエネルギーを誇示しているようだ。エピローグの幕はまだ下りてはいない。

90 おなじみさん

おなじみさん 周囲43kmの洞爺湖湖畔には58基の野外彫刻が点在している。「とうや湖ぐるっと彫刻公園」だ。野にあって初めて生命を得る造形群。緑の風の中、湖面や島影と重なる作品はいずれも「生きている」ことを謳い、豊かな自然を讃えているようだ。生活感あふれる裸婦像は近隣に住む人たちとも馴染んで、顔見知りの知人のような存在だ。そのほか、湖を渡る風に遊ぶ少女も居れば、独り湖を眺める少年の像もある。荒ぶるオテナの風貌にも似た彫像もある。蒼空を映す鏡面の造形も、大地の移ろいを感じさせる石彫や石組みもある。いずれも力量あふれた作家たちの手によるものだ。フルマラソンの距離ぴったりのなだらかな湖畔、サクラの花と新緑の下を彫刻をめぐりながら心地よい汗をかくのも「洞爺湖有珠山ジオパーク」の楽しみ方。自転車ならばゆっくり半日コース。

89 興奮冷めやらず

西外輪の地温 2000年の有珠山噴火は前兆地震と山頂に近い西外輪の地表にできた亀裂の発見で始まった。しかし、実際の噴火は西山山麓の国道脇から始まった。西外輪には最初にヘリから目視された亀裂の跡がまだ残っていて、地温が地表から50cm下では90℃もある。12年経ってもまだ熱源からの補給が続いていて、地面の火照りは収まってはいない。(有珠山学習登山会にて)

88 急流が住処

カワガラス 速い流れを逆手にとって、数居る野鳥の世界でここを棲家とするカワガラス。今様にいえばニッチを生業に生き抜いている時代の寵児だが、もともと生きものの世界ではこれがあたりまえ、こうやって種は進化してきた。清流の中でカワムシなどをエサにして、せわしなく生き切る命。つきあってみると番だった。巣はどこに?北の火の山、羊蹄山の伏流水に見つけた野生。

87 背中合わせの

有珠山 梅の名所で知られる壮瞥公園からの有珠山遠望。この山は100年の間に4回の噴火があり、激しい噴火とともに新しい山や丘陵を形成した。2000年噴火の西山山麓火口は有珠山の向こう側だ。実にのどかな風景だ。この地域の多様で恵まれた景観と産物は、ここの火山地形と多分につながっている。恩恵の反面、噴火に伴う災害も身近だ。過去の経験から得た知識を大切に生かし、次の噴火に備えねばならない。