945 半月とドロノキ

半月とドロノキ澄んだ夜空に半月が落ちてゆく。月齢 7.4、上弦の月だ。昭和新山の屋根山に落ちかかるところを300mm望遠レンズで狙った。朝、双眼鏡で確認したら、月に重なるのはドロノキ。2㎞先だ。ドロノキは、秋の初め、ほかの広葉樹に比べひときわ早く葉を落とす。窓を開け切って月を追っていたら、体が冷えきた。私の好きな寒い季節がやってくる。 9月17日、21時54分撮影。

944 シダクロスズメバチ

シダクロスズメバチ近所のおチビさんの母親から緊急の電話。「3か所ハチに刺されたみたい」。踵と両手の親指の付け根が赤く腫れて痛みをこらえている。母親に退治された個体を調べたら、頭部の斑紋からシダクロスズメバチ。ジバチだ。刺された現場はアカマンマの生えた斜面。巣があるらしく数匹が飛び交っていた。少したって確認したら痛みは引いたという。安心。ハチに手向けのモモの上で撮影。

943 北海道胆振東部地震

胆振東部地震新聞紙面

地震から一週間が過ぎた。亡くなった方は41人となった。震源地の土地や家屋の破壊の爪痕は深く、厚真町7か所に開設された避難書には950人が不便な生活をしているという。北海道全域の停電は徐々に回復しているが、被災地ではまだ復旧せず、報道によると、最大火力発電所(厚真発電所)の全面復旧は11月以降だという。

全道的に食品の流通も滞って、パン、ミルク、食品類が店から姿を消した。生産がすべて電力に頼っているからだ。搾乳ができず、乳房炎をおこす乳牛も多かったと聞く。停電により、テレビ、ネットによる情報も入らず、北海道全域で電気が通るまでの数日、震源地の実情がわからないままだった。首都圏からの見舞いや励ましがあって、とても嬉しかったが、地震の全体像を掴めぬままの受け答えとならざるを得なかった。

この地震が厳冬期だったらどうだったのだろう。日常からの災害への対応を真剣に考えねばならない。

 

942 北海道胆振東部地震

ロウソクの灯りで昨日未明の、厚真町震源のM7の地震は北海道全域に大きな影響を与えた。樽前山などの過去のテフラが関係した地滑りだったという。多くの行方不明の方々がいるそうだ。心が痛む。全道的に今朝まで停電で、不便な生活だったが、当地では水道水が出たのは幸いだった。夜空の星がきれいだったことと、ロウソクでも何とか生活が出来ることを改めて知った。災害から得る教訓は多い。

941 緑のスモモジャム

緑のスモモ香りが高く甘いその味は、子供の時から知っていた。壮瞥道の駅にも有ったので、在来種のスモモと思っていた。調べると意外に少数派で、特徴ある食品だ。ヨーロッパのグリ-ンゲージ Greengage(イギリス) レーヌクロード Reine-Claude (フランス)に似ている。かの地にならい、まい年ジャムを作っているが、濃厚な酸味は格別で、シナモンと合わせたジャムは特に好評だった。

940 台風一過

落ちリンゴ台風21号は深夜から未明まで荒れ、朝はいつもの通り爽やかだった。この3年、今年こそは、と頑張ったがとても残念。孫に数えてもらったら、582個。3年続けてのことだ。専業の果樹園では数百本単位の密植で、風当りの弱い内側はそれ程落ちてはいなかった。風通しが良すぎても良くないと、今知った。整枝や剪定、施肥、防除。長年の経験と確かな愛情がものを言う世界だ。脱帽。

939 台風に備えて

台風がやって来る台風21号は紀伊水道を北上中で950hPa。日本海に抜け、北海道南部に近づくのは今日の深夜。昨年の台風18号では600個リンゴが落とされた。一昨年の迷走台風では800個だった。刻々と変化するレーダ画像と台風情報を確認しながら、モモ、早生リンゴとスモモだけは収穫した。我が家は裏庭だけのことだが、この町に広がる、数百本、数千本を有する果樹園は大変だろう。

938 アカヤマドリ

アカヤマドリ傘の径10㎝程の成菌。すでに色といい周辺のひび割れといい存在感は他に類を見ない。成熟すると傘は20㎝にもなり、黄色と樺色の縦縞はいよいよ凄みを増して、ルイス・キャロルの原画の笑うチシャ猫が彩色されて出てきたようで、突然出会うと驚いてしまう。図鑑には「可食」とあり、「おいしい」との評価もあるが、迫力に負けてなかなか手が出ない。ピクルスでも作ろうか。

937 遣らずぶったくり

タラノキの花ミルク色のこの花の名前、分りますか。茂った灌木の葉の中から、ひときわ目を引くタラノキの複総状花。晴れた日にはたくさんの昆虫たちが集まります。春の林は透けて道端の柔らかな新芽はよく目立ち、小さな芽まで摘み取られます。春は心が痛みます。美味しいのは分かるけど、茂る葉や花には心を向けず、膨らんだ命を片端から奪い去るなんて、やらずぶったくりというものだ。

 

936 昭和新山物語

昭和新山物語壮瞥町図書館分室で、三松三朗さんによる、昭和新山の予兆地震から噴火、ドームの誕生、終息までの話が聞けた。三朗さんの穏やか語り口から、この山を愛し情熱を持って誕生の記録し続けた郵便局長・三松正夫の人となりが伝わってくる。終戦間際、軍部からの報道、研究者への理不尽な圧力などのエピードも交え、充実した講演会だった。次の噴火はいつ来るかはわからない。それぞれの心に重い何かを残してくれた。