978 地球岬灯台

地球岬灯台灯台を見下ろす展望台に立った。雪雲の合間から陽がもれたが氷点下の気温。黒く沈む海面はいかにも冬の色だ。アイヌ語のチケウは断崖のこと。岩壁は水冷破砕溶岩で、灯台を見下ろす平たん部は海底火山の山頂部との解説を聞いたことがあり納得した。ガラス越しに背丈ほどもあるフレネルレンズが見える。灯火高は海面から131m、毎30秒に2閃光、光の到達距離は52kmという。

977 東からの大風

風倒木「ここ四、五十年、こんな事は無かった。だからこの林があった」と壮瞥の古老は言う。三年前に手前がやられ、翌年も東からの強風が吹き、今年もそうだった。見事だったスギとトドマツの混交林は残念ながら見るかげない。林縁にはそで群落もマント群落もあった。いずれも渡島半島を通過した台風や低気圧のなせる業なのだが、気候のシステムそのものが変わってきたのだろうか。

976 冬のヒマワリ

冬のヒマワリ10月30日のブログ959、野鳥の餌台のペットボトルに芽を吹いたヒマワリ。小さな芽を室内の鉢に移し換えて置いたら50㎝程に成長し、気が付いたら花も咲いている。発芽の頃はまだリンゴの葉も芝生も緑だった。今は雪に覆われこの一週間は氷点下。キク科ヘリアンサス属の耐寒性宿根草らしい。ここまで育てた以上、春には花壇に植えねばなるまい。小さな命を預かってしまった。

975 狐岬(北風岬)

狐岬(北風岬)壮瞥滝落ち口から北東に1km、小さな入り江の先にある岬を北風岬と呼んでいた。洞爺湖を渡る冬の北西風がぶつかり、凍てついた「しぶき氷」が見られるからだ。先端は断崖で、溶結凝灰岩の節理が見られる。十数年前、ここにあったキャンプ場の管理をしていた方に「狐岬」と教わり、手持ちの地形図に記入しておいたのを見つけた。この狐岬を回る道が湖畔周回道路だったという。

971 昭和新山後頭部

昭和新山後頭部窓から見える11月29日、13:19 の昭和新山ドーム東側斜面。すっかり葉を落とした屋根山のドロノキの上に椀を伏せた形で、遠目にも白く輝く蒸気が見える。大陸の強い高気圧からの北西の風、気温5℃。よく知られた有珠山に面するのが正面とすると(ブログ967)、この画像は後頭部。毎日幾度も見上げる大溶岩岩塊と、隆起時に焼きあげられた天然煉瓦の代赭色。私とほぼ同じ年齢だ。

968 寒スズメ

寒スズメ朝の光を斜めから受けて寒スズメ。雪景色になって寄り集まり、個体群としての群れ生活が始まった。家の前のジュンべリーに30羽ほどが集まって、枯れた草地と行き来している。誰かが驚いて飛び立つと自分も飛び立つ。一つのいのちが互いに数十の目と耳を持って身を守る。葉を落として裸になった林の上空には、腹をへらしたハヤブサの眼がある。冬は、みんな必死に生きる季節だ。

966 とうとう初雪

初雪明け方、静かに初雪が降った。裏庭のまだ緑だった芝生も、その上のサクランボの黄葉も柔かい雪に白く覆われていた。いつもの年は11月初めが初雪の目安だった。昨日の札幌の雪は128年振りの遅い雪だという。温暖化で平均に暖かくなるわけではない。撹乱する大気は極地の低温を運ぶかもしれない。とうとう本物の冬がやってくる。おチビさんたちとブランコも片付けなくっては。

965 ビート畑

ビート畑裏庭に続く近所の農家のビートは数日前に収穫が終わり、積み上げられてシートで覆われている。畝には霜が降りて、遅い初雪のニュースも入った。向うに見える有珠山には雪はまだ見えない。隣の伊達市にある製糖所へビートを満載した大型の貨物車が町を通り抜ける。1880年(明治13年)に官営紋別製糖所が設立されて以来、冬になるとビート(甜菜)は運び続けられている。

964 黄金の味

マルメロ裏庭のマルメロでジャム作ろうとしたが、圧倒的な香りと濃厚な味に惑わされて、そのまま砂糖菓子にした。酸味が強いので、グラニュー糖はマルメロスライスの50%。半量をスライスにかけおき、数時間後に20分煮る。ハンドブレンダーでピュレーにし、さらに残りの砂糖を加え15分煮て熱い内にチョコレート型に詰めて完了。脳みそに滲みこみ、いつまでも離れない芳醇。

963 秋の虹

秋の虹西から東へ雨雲が渡る。今朝から何度、時雨を数えただろうか。雨が通りすぎたあとに、いくつもの虹を見た。一日中大きな虹や、虹の断片を見ていた。そして最後に、有珠山に沈む夕日が、東の丘陵に黄葉を染め上げて、落ち込んだ草地の向こうでひときわ大きく弧を描いた。秋の虹は消えやすいという。時雨も虹も秋風に送られ、心にとどめる間もなくどこかへ消えていってしまった。