678 トドマツの球果

台風10号のトドマツの球果風は猛烈で特にトドマツが被害を受けた。倒れた樹冠の上部には球果が付いている。この機会を逃す手はない。写真を撮り標本を採取した。エゾマツ類の球果は落下したのを入手できるが、トドマツは成熟すると種子は飛翔し種鱗は落下して花軸だけが残る。地上では入手が困難だ。溢れ出た樹脂(まつやに)の付着した球果と前年の古釘のような花軸が一緒のいい写真となった。

677 砕屑岩脈

砕屑岩脈「道央の地形と地質」という解説書と地形図を見比べながら自然風景の中を歩いている。イタンキ浜をはさんで室蘭層の白く長い崖の北西にあるイタンキ岬のもう一つ北の崖。海側から足を進めると安山岩の崖があり、上から下まで真っ二つに貫いて角れき岩と火山灰が混ざった岩脈が走っている。解説書の通りだ。よくあるのは水平方向に発達した柱状節理の貫入岩脈だ。初心者の私にはこの岩脈の生成機序がわからない。

676 今度は台風

台風10号被害壮瞥温泉近くの湖畔の道路。昭和新山第5次爆発の火砕流はここにあったミズナラ、ハリギリ、トチノキなどの防風・防雪林を一気に壊滅させた。1944年のことだ。その後植栽され堂々たる姿で役割を果たしていたが今回の台風10号は一夜にして100本を超えるトドマツをへし折った。湖岸までの幅30mの一斉林。混交林ではない上に下草が刈られ次世代が育っていない。風には弱い林だ。

675 台風一過

リンゴ一週間以上彷徨い続けたブーメラン台風10号は、三陸から津軽へ駆け抜けた。夜半の東風は猛烈で、朝、見回ると裏庭のリンゴ、モモは見事に落とされていた。リンゴは830個だった。近隣の果樹農家は痛手をこうむったに違いない。函館や津軽のリンゴ農家はどうだったののだろうか。道東の空知川、十勝川水系でいくつもの河川が氾濫しているという。収穫期の田畑が心配だ。

674 破壊と再生

2000年噴火遺構2000年の有珠山噴火で被害を受け放棄された公共住宅。屋根には噴石で多くの孔が開き、1階は火口から噴出した熱泥流で埋もれている。2階には50m上流から泥流で流されてきた国道の木の実橋が激突した損傷が残っている。泥流は橋げたをさらに100mも押し流し、前年に完成したばかりの町営浴場・やすらぎの家の真ん中を突っ切って厚さ1mの泥流堆積物を残した。

アパートの屋上の孔からの雨水は床を腐らせ、割れた窓から飛び込んだ綿毛を持ったヤナギ類の種子が発芽して、今ではこの通りの繁茂ぶり。5年ほど前の屋内探査ではこの樹々の根は和室の畳やカーペットの下いっぱいに広がり、隣室はシダが繁茂し、神棚にはシジュウカラの雛が育っていた。自然災害の現場で、破壊と再生を見た。

673 ジオサイト整備

ドンコロ山 山露頭有珠山と同じ時代に誕生したスコリア丘、ドンコロ山の整備を行った。スコリアの堆積の上に有珠山のテフラが乗っていて、1662年のUsu‐bも確認できる。露頭は夏草に覆われていて、ニセアカシア、ミズナラなどの木本も成長しはじめている。厄介なのは、このところ道南地方で勢力を増すクズで、これには根にクズ専用の防除剤を打ち込んでゆく。除草剤はすべてを枯らし、露頭は崩れる。植生に頼りながらの草刈保全。

672 朝の虹

朝の虹ふと見上げた空に、眩しく輝く朝の虹をみた。こんなに強い光の虹を見たことはない。雨で空気が洗われたせいなのだろうか。17日に台風7号が縦断したばかりなのに、11号、9号がさらに北上中だ。すでに水に浸かった地域もあり、農作物には深刻な事態だ。「朝の虹は雨の予兆」と気象学のテキストにある。虹の反対方向の東の空に、午後からの雨雲の帯をレーダー画像は捉えている。

671 暑気払い

ソイとアイナメ蒸し暑さにへきえきしていた最中に、釣ったばかりの魚の差し入れ。「中学生の息子が釣り過ぎたので」とのこと。45㎝を超すソイとアイナメ。魚をさばくのが大好きな私には願ってもない暑気払い。上身は冷凍し、いずれムニエルに。あらとむね肉の濃い味の醤油煮は、舌に纏いつく旨みがあった。この地には豊饒な海があり、岩礁地帯には今も縄文の昔もいい魚がいる。ジオの恵みだ。

670 国縫川のお宝

国縫川の礫長万部町国縫(くんぬい)川下流で岩石採集。「クンネ・ナイ」(黒い・川)が語源だといい、上流には訓縫層、八雲層の露頭があるという。分水嶺を越えると旧石器時代のピリカ遺跡があり、支流の茶屋川が石材の産地と聞いた。グリーンタフ、メノウ、硬質頁岩が見つかり、メノウは火打石に、頁岩はアポイジオパークで買い求めたシカの角で欠いて、石刃づくりを楽しむ。

669 夕映えのドーム

昭和新山ドーム夕映えの昭和新山のドームが燃えたつようだ。緑濃い屋根山はもう影の中に溶け込んでいる。誕生時、珪酸分の多い高温の溶岩ドームは河原の粘土や土壌を焼いてそのまま上昇し天然煉瓦の皮膜とした。初めはピラミッド状の溶岩体だったが、粘性が高い溶岩はユリ根のように分割しながら上昇し、複雑な形のドームになったという。昭和新山を周回すると、それぞれの場所で異なるイメージのドームを見ることができる。