873 いつもの夕焼け

いつもの有珠山書斎の窓から朝夕、いや昼も夜も有珠山を見ている。真西に当たるので、夕日はいつも有珠山の向こうだ。晴れた日は落ち込む瞬間の光芒があり、高曇りの時には雲底の反映に見とれる。今日とて、いつもと同じ夕日の照り返しが空を覆っている。見とれているいつもの自分もそこにいる。光を失った窓ぎわの空気は、滲んだ茜色の匂いがする。                                           3月5日、17時42分の夕焼け。

872 奇妙な均衡

均衡と連携裏庭のサクランボの古木に吊るした手製の餌台。ペットボトルにあけた餌の出口は1㎝×5㎜。山の餌がなくなる時期なのか、シメが3羽、シジュウカラは雄雌合わせて3羽、スズメは10羽程が来ている。嘴の太いシメはたまにしか餌を取り出せず、食い残しや落ちてくる餌を待つ。スズメはいくらでもつまみ出し、辺りに弾き飛ばすが、ヒマワリの種子は硬くて完食できない。シジュウカラは名調子で鋭い嘴で食い散らかし、スズメとシメはそのおこぼれを頂戴する。この三者、とくに仲良しではないがいつも同時にやってくる。互いに暗黙の連携ができていて、自ずから均衡がとれている。

871 雪が降って

雪化粧3月になって二日続きの大雪。毎年こんな感じだ。サクランボの庭一番の古木もこの通りの雪化粧。北へ車で30分の大滝町では積雪量が2mを超えたとのこと。 風が強く停電もあり、見舞いの電話まで来たが、我が町壮瞥はいつもの冬より少し多いくらい。雪が締まって固まったら、果樹の剪定作業だ。青い空を見ながらの仕事は気持ちが良い。それにしてもこの雪、静かできれいだね。

869 有珠山山頂

有珠山山頂有珠山が陽に映えあまりにも眩しく見えたので、窓を開け放ち撮影した。気温は-2℃。春の予感がする。77噴火で山頂部は右手へ大きく動いた。研修会や植物探索で幾度も登った道筋がここからもうかがえる。五月になると芽吹きが始まり、山は蘇り柔らかないのちに包まれる。この山の地下10㎞にはマグマ溜りがあるという。何時の季節か、力ずくで山を動かすこともあるのだ。

868 昭和新山雪合戦

 昭和新山雪合戦昨日と今日は、恒例の  International Yukigassen。第30回を迎えた。昭和新山の山頂を望む、ドロノキの巨木に囲まれた6面のコートには、凝ったデザインの選手たちが技を競いプライドをかけて、大歓声の中で試合中だ。少し離れて三松正夫の銅像広場には国旗が並び、フィンランドからの大男たちが体馴らしに遊んでいた。壮瞥町と友好都市のケミヤルビ市の人達かもしれない。光の春。

867 オオチカ

オオチカ子どもの頃、室蘭の港でチカを釣った。悴む手で、指先くらいのが30尾余り。上手い人は80尾も釣って「オオチカ」も混ざっていた。えさはタマキビの心臓(赤い口球=歯舌嚢)のチョン掛け一匹釣り。今全盛のサビキ釣りよりはるかに面白かった。昨日街で新鮮な20㎝もあるオオチカを買い、塩で一晩締めて、まだ春浅い梅の木に干した。チカ、キュウリウオのナマの匂いが大好きだ。

865 ハクチョウが飛ぶ

オオハクチョウ昭和新山の赤いドームは地熱のある証拠。気温-2℃。雪雲の少しの晴れ間をオオハクチョウが飛んでいる。美しく大きな鳥だ。田んぼ跡、川、海の入江に数十羽ずつ。塒はどこかわからない。4月いっぱいまでこの地で過ごし、その後、鳴き交わしながらシベリアに帰ってゆく。ここだって厳しい環境だが、彼らが過ごすゆとりは辛うじて残っているのだろう。この自然を有難いと思う。

863 クッタラ溶結凝灰岩

胆振幌別川別市街から鉱山町へ6km、胆振幌別川の橋から溶結凝灰岩の崖を見た。クッタラ火山は北東10㎞にあり、円形のカルデラに水をたたえている。登別港付近の凝灰岩には扁平となった軽石が見られるがこの崖地のはどうなのだろう。地質図では「登別泥熔岩」だが、古い表記だという。川底にはグリーンタフ様の露頭が見られた。地質図から訓縫層、八雲層と同じ時代とおもわれる。

862 津波警報

津波警報イタンキ浜海水浴場の津波避難のサイレン。室蘭市のハザードマップではこの場所も水深3mから4m未満の浸水区域に入る。舟見町、鷲別川河口域も同様だ。近隣の登別市、白老町、苫小牧市も津波に襲われる。大津波では外海に面した海岸の被害は壊滅的だ。北海道太平洋岸では巨大津波がおよそ400年周期で起こるという説もある。この場所は過去に幾度も津波が通りすぎた場所なのだ。

861 石庭

有珠善光寺有珠善光寺の裏庭。有珠山の山体が崩壊して海まで押し出した。岩塊は一万年もの年月で洗いだされてこの庭となった。厳冬期でもこの程度の雪。凍らぬ海の恩恵で一足早く咲く早春の花の便りもここから始まる。イタヤカエデと見られる一抱えもあろう古木のこの湾曲はどうだ。石の間に生を受けて間もない頃だろう、何かがあってこの形。いのちを刻み続けて春を待つ。