897 萌芽更新

萌芽更新有珠山西山火口群の山麓散策路で見つけたドロノキ。18年前の噴火でこの地帯は隆起し、それに伴う地溝(グラーベン)の沈下部分がここだ。倒れた樹の根に近い若い枝がすくすく成長して、今では立派な二本の樹となった。動物と違って、悪条件から逃げることはできないが、生を受けた場所で自らの形を歪めても何とか生きようとするいのちのたくましさに感銘をうけた。

896 国道の上の沼

西新山沼この国道旧230号線はこの手前の斜面のまま下って4㎞先で海際の国道37号と接続していた。水が溜まったのは、2000年の有珠山の噴火でこの道の向こう側に火口が開き、70mも隆起して丘になったからだ。18年たち、テフラ(火山の噴出物)で覆われた火口は草地から林へと遷移が進み、国道上には隆起由来の堰止湖。底がアスファルトの天然の沼だ。噴火は思いもよらない多様な生態系を創造してくれた。西新山沼という。

895 立ち寄る昭和新山

昭和新山春の連休。樹々は芽を吹き始め、ほんのりと萌黄色。風は柔かく気温も上がって、ツアーで立ち寄ってくれるお客さんがこの風景を楽しんでいる。火山のほとんど無い韓国や中国・台湾からのお客さんが多い。聳える有珠山と噴気を上げる昭和新山をどう感じてくれたのだろう。湖畔の温泉街から、1時間半歩いてやってくるお客さんにも出会った。滞在型の旅人が多くなると良いですね。

892 イタヤカミキリその後

イタヤカミキリブログ877に登場のカミキリムシ。ひと月ちょっと経ったが、腰高シャーレの中で触角をふりふりリンゴの剪定枝の樹皮を齧っていました。ハンノキ、ヤナギ類の樹皮を食害するというが、リンゴの枝も好物なのか。撮影中もじっとしてはいません。数日もすると好天になるので、洞爺湖畔の林へ放してやろう。自分が害虫なんて知らなくてよい。好きなところへ飛んでゆけ。

891 悠久のワルイ川

ワルイ川河口噴火湾最奥部に流れ込むワルイ川。上流は上国縫川、茶屋川と水を分ける。地質図には緑色凝灰岩や硬質頁岩が記載されている。珪質の頁岩(泥岩)は旧石器時代のピリカ遺跡の石材の産地となっていた。河口への道はなく、砂浜に打ち寄せる波、それとカモメの姿だけ。軟らかな砂に立ち、吹く風にさらされていると、今も昔もない石器時代からの悠久の二万年を感じられる。

889 昭和新山赤壁

昭和新山赤壁昭和新山学習登山会を私の部屋から望遠レンズで撮影した、数人の登山者が急傾斜を詰めて「亀岩」へたどり着く直前の画像。頂上はさらに上だ。右斜面の人影は同行の地質の専門家。思い焦がれ、登ることのできる数少ない機会にこうやってドームを登り、この岩壁を堪能できる。この生きている火山との触れ合い、大岩壁へのチャレンジは地球の大自然の動きを理解する糸口となる。

888 渡島(おしま)駒ヶ岳

渡島駒ケ岳室蘭市崎守町から噴火湾を隔てた40㎞先の駒ヶ岳。残る雪形に駒は居なかった。江戸時代は内浦岳といった。1640年噴火に先立つ山体崩壊で富士山型だった山頂は崩れ落ちて大津波をひき起こし、こちら側で住民700名が溺死した。激しい噴火をする火山であり、私が長万部町に住んでいた1945年頃の海岸線には、打ち上げられた1929年噴火の軽石の大きな堆積が至る所に見られた。

886 水辺の緑

春の水辺河原に春を探しに出かけた。林道の先、長流川に注ぎこむ小さな流れに緑の群集を見つけた。湿った土の匂いがする。蘚類や牧草の若芽、それに混じってフキの薹と柔かく小さなフキの葉。セリも見つけた。風も遮られ、爆ぜるような水の音。ハクセキレイの声も聞こえる。窓辺から雪の残る山を眺めていると眠くなる。気分を変えて、こうやって出かけると自分の春に出会える。

885 今日の昭和新山

昭和新山四月になっていよいよ春かと思ったら、この数日とても寒く、日中3~4℃が続いている。「春は名のみの風の寒さや」。この山が噴火したころ覚えた歌だが、覚えていて頷いてはくれる人は少ない。霙模様で湿度もあるので昭和新山の噴気が際立って良く見える。この頂上から噴火することはまずないが、地下からの熱の補給だけは続いているのだろう。

884 剪定作業が終わった

リンゴの剪定3月中に整枝・剪定の作業を終えることができた。順調だ。切り口の消毒パテも塗り終えた。リンゴとサクランボウなど合わせて40本の果樹。有珠山の雪がなくなり、カッコウの声が聞こえてくると、遅霜の心配がなくなる。それまで野草の軟らかな芽や小さな花を楽しみ、空にはヒバリ。今年はカミナリシギはやってくるだろうか。爆発するように盛大な北国の春本番を待つのが4月だ。