1061 ブラックカラント

ブラックカラントベリー類の収穫の季節だ。ハスカップ、ラズベリーに続いてブラックカラントが熟した。Blackcurrant=クロスグリ。フランスではCassis で、カシスの名の方が知られ、通りが良い。生食は甘酸っぱく独特な野生臭がある。5株から4.3㎏の収穫があった。成分を声高に吹聴した売らんかなの商品があるけれど、それよりもこのジャムやシロップの美味しさと赤紫の美しさは格別だ。

1060 ジューンベリー

ジュンベリーJuneberry は6月の樹の実。北海道では7月だ。少し前、やや長めの白い花弁が6月の風に揺れ爽やかだった。樹形が良く、新緑、黄葉、我家のシンボルツリーとなってくれた。今年は紫色に熟れたのを摘みとり、ジャムにする。種子はさほど気にならない。20%の砂糖を加え、少し潰して10分ほど煮る。簡単なのが強みだ。たっぷりとした食味と濃い紅色はアイスクリームと相性が良い。

1059 北のサンショウ

北のサンショウ庭のサンショウの枝を整理するからとの連絡を受け、笊を持っていそいそと出かけた。一抱えほどの実の付いた葉ごといただき、薫り高い実を収穫した。冷凍保存し、ゆっくり関西風コンブの佃煮、ちりめん山椒を作る。もちろん麻辣の麻婆豆腐に担担麺、棒棒鶏。さらに乾燒蝦仁は大好物。たっぷりと楽しめるぞ。北限のミカン科サンショウ属。洞爺湖中島には見事に繁茂する地域がある。

1058 ハマナス

ハマナス海からの明るい風が吹いた瞬間、ハマナスの酸味のある強い香りが脳ミソを駆け巡った。私が育ったのもこのような海岸、その時の砂浜の流木の風景と甘い爽やかな匂いを思い出す。匂いとともに記憶が鮮烈に蘇るのは、生命にかかわる素直で直截的な感覚だからだろう。匂いは思い出も連れてくる。 室蘭イタンキの鳴り砂の浜には、太古からの風景と海浜植物が今もなお残されている。

1057 したたかなスギナ

したたかなスギナジャリ道際にシバザクラと銀葉のナデシコを植えた。花がナデシコに代わるころスギナが盛大に伸びてくる。胞子茎のツクシは気にならないがスギナの繁茂には手を焼く。光合成で栄養するから、理論的には徹底的に葉を摘むと根は枯れるはずだが、数億年前から命をつなぐトクサ科のこの植物の強かさには追いつけない。成り行きに従って、スギナごと花を楽しむのも悪くはない。

1054 新しい沼

2新しい沼000年の有珠山噴火では、隆起によって板谷川上流が堰き止められ、旧国道230号線上に西新山沼が誕生した。この隆起では別の支流にも新しい沼が誕生している。下草が藪を作らぬうちにと、地形や植生を確認するため春の穏やかな日を選んで出かけた。二つの小さな流れ込から始まり、断層群により堰き止められた沼尻まで探索した。左上の尾根筋が地熱を持つ地帯、その奥が西山。

1053 壮瞥公園のウメ

壮瞥公園のウメ洞爺湖から流れ落ちる壮瞥滝の上にある壮瞥公園のウメ。いつもならこのウメの開花を待って人々が押し寄せるのだが、今年はCovid-19の感染予防とのことで登っては行けない。梅越しに洞爺湖を一望し、その向こうの残雪を頂いた蝦夷富士・羊蹄山。極め付きの風景なのだが。お蔭で今年は逆方向から、300mmレンズを使ってのお花見と相なった。咽るような香りを嗅げないのが残念。

1051 バッコヤナギ

バッコヤナギまだ冬色の林の中に柔らかな黄色を見た。近づいてみるとヤナギの雄花、春の陽に輝くバッコヤナギの雄花だった。淡く光る軟毛に包まれた「ネコ」は、川辺のネコヤナギほど可憐ではないが、膨らんで雄蕊を盛大に展開し始めると負けず劣らずの豪奢な金毛のネコとなる。野山の生命全てを甦らせる春は、溢れんばかりの土の匂いと若葉の色で、野山を惜しみもなく満たしてくれる。

1048 失ったもの

失ったもの失ったものを取り戻すのは容易ではない。自然は向こうに見える絵葉書となり、人は自らの感性で捉える自然を失ってしまった。 瞬間に見つけたもの、心が捉えたものは真実だ。向こうではなく、手を伸ばすとそこにある。山の尾根と広葉樹林、湧き上がる雲。自然を構成する基本のパーツであり、それ自体もそれを取り巻く現象も皆、意味を持ち単純でかつ美しい。ここから始めよう。

1047 洞爺湖・春の予感

洞爺湖春の予感冬の名残りの樹々を載せた小島が、柔らかな光を受けて湖面に映っている。風のない早春のひと時。心安らぐたたずまい。前の年の豊穣はすべて地に還り水に沈んで、芽吹きの膨らみとなってまた蘇る。 遠く微かな「春の歌」が聞こえるような。あれはメンデルスゾーン。コロコロと明るい水面を転がるフルートの音色。 またいく度かの雨が降り、やがて木の芽色の風が吹きわたる。