867 オオチカ

オオチカ子どもの頃、室蘭の港でチカを釣った。悴む手で、指先くらいのが30尾余り。上手い人は80尾も釣って「オオチカ」も混ざっていた。えさはタマキビの心臓(赤い口球=歯舌嚢)のチョン掛け一匹釣り。今全盛のサビキ釣りよりはるかに面白かった。昨日街で新鮮な20㎝もあるオオチカを買い、塩で一晩締めて、まだ春浅い梅の木に干した。チカ、キュウリウオのナマの匂いが大好きだ。

864 カラスの行水

カラスの行水言葉通りの夏の暑さしのぎと思っていたが、雪があり気温-2℃、水温も2~3℃だろう。ここは伊達港に近い気門別川。いたる所でカラスが「水浴び」をしている。この3羽、手前はハシボソガラス、奥がハシブトガラス 。となり合って3羽とも水浴びをしたが、行動学的にどんな意味を持つのだろう。少なくともハシボソ2羽は頭の毛を逆立て、かなり興奮していた。意味は分からない。

862 津波警報

津波警報イタンキ浜海水浴場の津波避難のサイレン。室蘭市のハザードマップではこの場所も水深3mから4m未満の浸水区域に入る。舟見町、鷲別川河口域も同様だ。近隣の登別市、白老町、苫小牧市も津波に襲われる。大津波では外海に面した海岸の被害は壊滅的だ。北海道太平洋岸では巨大津波がおよそ400年周期で起こるという説もある。この場所は過去に幾度も津波が通りすぎた場所なのだ。

861 石庭

有珠善光寺有珠善光寺の裏庭。有珠山の山体が崩壊して海まで押し出した。岩塊は一万年もの年月で洗いだされてこの庭となった。厳冬期でもこの程度の雪。凍らぬ海の恩恵で一足早く咲く早春の花の便りもここから始まる。イタヤカエデと見られる一抱えもあろう古木のこの湾曲はどうだ。石の間に生を受けて間もない頃だろう、何かがあってこの形。いのちを刻み続けて春を待つ。

 

860 アルトリ岬

アルトリ岬有珠湾の南にあるこの岬は、成層火山であった有珠山が山体崩壊し、岩屑雪崩となって一気に噴火湾に落ち込んだ名残である。山麓に残るいくつもの流山(ながれやま)や、有珠湾の入江も同時に形成された。沖合数㎞まで延びる水面下の岩礁も手前の黒い岩もその一部だ。岬には福田茂夫火山マイスターのアルトリネィチャーハウスがあり、この地の自然環境について学ぶことができる。

859 有珠善光寺

有珠善光寺開基は平安時代にあるという。寺号は慶長18年(1613年)にさかのぼる。徳川家斉の時代1804年に、様似の等澍院と厚岸の国泰寺と共に蝦夷三官寺に指定された。1822年(文政5年)の有珠山噴火では火砕流が寺の背後まで迫り、百余名もの死者が出た。茅葺の屋根を持つその構えや、創建以来の歴史、有珠山噴火とのかかわりの地方史からしても、北海道では当代きっての古刹だ。

850 タンネシラル

タンネシラル室蘭、タンネシラル。アイヌ語では長い磯(知里真志保・山田秀三、1960)。半世紀以上前、私はこの崖地をましらのように走り回り、この海を潜りに潜った。岩肌に残るタフォニからは時の流れを、潮間帯の岩棚とその先の深みへの落ち込みからは海中の生き物たちの姿を学んだ。昔は「ハカショ」と言ったが意味はわからない。中学から高校時代、この磯での思いはつきない。

827 時代の風景

カムイチャシ豊浦町礼文華の岬にあるカムイチャシ。アイヌの人々の祀りの場であった。1万数千年年前の氷河期には噴火湾全域は陸地だった。向うに見える有珠山は若い火山だったろう。氷河期が終わり、縄文海進期(6,500年前-6,000年前)の温暖な時代の海水面は5mほど上昇していたという。この海にハマグリが生息していた時代、今の東北地方の植生がここにあった頃の風景を想像してみる。

802 オウムガイのご先祖

アンモナイト三笠市立博物館には巨大なものから微細まで、190種600点ものアンモナイトが展示され、日本一の収蔵量だという。古生代末期から白亜紀まで繁栄した種は、それぞれの地質時代の示準化石となっており、現生のオウムガイの遠い先祖でもある。おなじ頭足類のタコやイカとオウムガイの口器(カラストンビ)、アンモナイトのカラストンビが展示してあり、よく似ていたのには驚いた。

801 1億年前の海遊び

三笠市原石山第2回北海道ジオパークガイド交流会が三笠市で開催され、初日、桂沢ダムの原石山山頂の採石場で説明を受けた。1億年前の浅海の砂が堆積し隆起し、傾斜しているのが良くわかる。水流による海底の撹乱、砂中の棲痕を参加した誰かが見つけた。ここでは二枚貝イノセラムスの化石も出るそうだ。手前がより古い地層だという。谷あいに見える桂沢ダムは1億年前の岩石で作られている。