707 チカ

チカチカのシーズンがやってきた。チカは淡水生のワカサギに近い種だが、海水魚だ。白銀色の20㎝もある上等なのが店頭に並ぶ。16匹一盛りで280円。二枚に下し、塩水に漬けて半日干した。素焼もいいし、唐揚げにしてもよい。白身で淡泊、しかも香りがいい。三枚にすると丁度天ぷら種の大きさ。キスには負けない馥郁、芳醇な海の幸。海近くに住むことと季節に感謝する。

706 家主は誰

野鳥の巣裏口の階段上の踊り場、ハニーサックルの葉が落ちて明るくなったら、小鳥の巣があった。丁寧に作られた内径10㎝ほどの巣で、鳥の出入りに全く気付かずにいた。抱卵や巣立ちがなされたかは分からないけれど、こんな近場に生き物の営みがあったとはとても嬉しくなってしまう。仲間に助けを求めたら、巣材と大きさからヒヨドリでないかと結論が出た。

685 三葉虫レプリカ

三葉虫レプリカ足寄(あしょろ)の動物化石博物館へたち寄った。出迎えてくれたのがデスモスチルス。遊泳生活に適応した大型の半水棲動物で、その一種アショロアがこの近くで発見された。大型動物の化石の展示のみならず、市民や学生、生徒に身近な企画を用意してある立派な博物館だ。私は三葉虫とアンモナイトのレプリカ作りをした。一つ200円、30分で硬化する。後は水彩で色付けして完成。

682 切れ味

石器を使う遠軽町白滝にある埋蔵文化財センターでの石器つくりを見学した。旧石器人に扮した名人が見事に出来たブレードで、ソイを調理する。私がブログ671でソイを上身にしたのはよく研いだ料理用包丁だったが、この名人、食にも堪能らしくギトッとひかる石刃でそのまま三枚にし、皮をそいで五枚下ろしまでやってのけた。現代人にしておくのは惜しいね。充分立派な旧石器人だ。

674 破壊と再生

2000年噴火遺構2000年の有珠山噴火で被害を受け放棄された公共住宅。屋根には噴石で多くの孔が開き、1階は火口から噴出した熱泥流で埋もれている。2階には50m上流から泥流で流されてきた国道の木の実橋が激突した損傷が残っている。泥流は橋げたをさらに100mも押し流し、前年に完成したばかりの町営浴場・やすらぎの家の真ん中を突っ切って厚さ1mの泥流堆積物を残した。

アパートの屋上の孔からの雨水は床を腐らせ、割れた窓から飛び込んだ綿毛を持ったヤナギ類の種子が発芽して、今ではこの通りの繁茂ぶり。5年ほど前の屋内探査ではこの樹々の根は和室の畳やカーペットの下いっぱいに広がり、隣室はシダが繁茂し、神棚にはシジュウカラの雛が育っていた。自然災害の現場で、破壊と再生を見た。

671 暑気払い

ソイとアイナメ蒸し暑さにへきえきしていた最中に、釣ったばかりの魚の差し入れ。「中学生の息子が釣り過ぎたので」とのこと。45㎝を超すソイとアイナメ。魚をさばくのが大好きな私には願ってもない暑気払い。上身は冷凍し、いずれムニエルに。あらとむね肉の濃い味の醤油煮は、舌に纏いつく旨みがあった。この地には豊饒な海があり、岩礁地帯には今も縄文の昔もいい魚がいる。ジオの恵みだ。

670 国縫川のお宝

国縫川の礫長万部町国縫(くんぬい)川下流で岩石採集。「クンネ・ナイ」(黒い・川)が語源だといい、上流には訓縫層、八雲層の露頭があるという。分水嶺を越えると旧石器時代のピリカ遺跡があり、支流の茶屋川が石材の産地と聞いた。グリーンタフ、メノウ、硬質頁岩が見つかり、メノウは火打石に、頁岩はアポイジオパークで買い求めたシカの角で欠いて、石刃づくりを楽しむ。

666 闖入者

ニホンアマガエル夜、キッチンの外、灯りに集まる虫を求めてアマガエルがやって来ていたのは知っていた。翌朝、室内のシンクの上に当たり前の顔をして鎮座ましましていたのには驚いた。黄緑色のニホンアマガエルだが、しわしわで灰色のサッカー生地の甚平みたいでいかにも夏っぽい。去年もこの色をした御仁を見ている。太って貫禄がついて、これから先何年でも生きてやるぞというような面構えだ。

663 トッカリショ

トッカリショ室蘭港の裏側にこんな風景があるのをご存じだろうか。トッカリショは太古からの自然と人の生活が織りなす第一級の風景(ピリカノカ)だ。トッカリとはアザラシのこと。草地の下の断崖は海底火山の噴出物の堆積でできた室蘭層でイタンキの白い岩壁とつながり、成分の違う凝灰岩の層が傾斜していく層にも重なっている。小さな浜には何代も続く漁師たちの家がある。

私たちは工業を振興し港を盛んにする中で、このような美しい風景を捨ててきた。いくつものアイヌの伝説を伝え、人々の心に安らぎを与えてきたオイナオシ、オハシナイ、祝津(シュクズシ)、エトモの海はすでになく、電信浜、ポンモイの海岸は姿を変えた。砂浜は埋められ、岬はコンクリートで囲われてしまった。トッカリショに続くイタンキの浜が、海辺の生き物や鳴り砂の浜を守るという人々の熱い思いで守られているのが救いだ。

オイナオシの浜に続く栽培水産試験場が造られた場所は、豊かな海藻とスガモの藻場のある岩礁地帯であった。海の生物たちの揺籃の場を破壊して造成された施設は、祖先から譲り受けたありのままの多様な生態系をどのように補えるのだろうか。埋め立てでできたMランドという名の堤防の先は、いままさにピリカノカ・マスイチの絶壁を窺がっている。

 

660 アマツバメ・雨燕

アマツバメ梅雨のない北海道の空をアマツバメが飛ぶ。ひらりひらりと、よく切れる黒い鎌が飛び交うように見える。ものの本には、実際鎌燕と呼ぶともある。私は天ツバメと思っていたが「雨ツバメ」なのだという。私の持っている分類アイヌ語辞典・動物編(知里真志保、1962)にも ruyampe(雨)cikap(鳥)となっている。見る人の感性で呼び名はそれぞれだ。

アマツバメ類は、姿や飛び方がいわゆるツバメと似ているが、分類学的には離れた種群だ。崖地にぶら下がるようにして生活していて、地面に降りることはないという。有珠山のドームあたりからやってくるのか。