859 有珠善光寺

有珠善光寺開基は平安時代にあるという。寺号は慶長18年(1613年)にさかのぼる。徳川家斉の時代1804年に、様似の等澍院と厚岸の国泰寺と共に蝦夷三官寺に指定された。1822年(文政5年)の有珠山噴火では火砕流が寺の背後まで迫り、百余名もの死者が出た。茅葺の屋根を持つその構えや、創建以来の歴史、有珠山噴火とのかかわりの地方史からしても、北海道では当代きっての古刹だ。

858 雪の足跡

雪の足跡壮瞥滝下、沢伝い水伝いに続く足跡。キタキツネと、カルガモだろうか水かきの付いた四角い足跡もあった。連れ立って歩いたとは思わないが、雪の様子からして昨日から今日のことだ。すれ違いがあったかもしれない。少し上流には羽毛の散らばった古い修羅場の跡もあった。陽の光も強くなっているし、湧水際の緑の草の色もある。やがて来る春へと繋がるいのちの脚跡。

857 旧胆振線・上長和駅

旧上長和駅伊達紋別から倶知安までの国鉄胆振線は1986年に廃止された。全線単線で勾配はきつく、太平洋戦争時代の鉄鉱石の輸送、昭和新山噴火時の地盤の隆起による迂回敷設など、時代に翻弄された路線だった。伊達市部分はサイクリング道路として残されている。この駅は公園となり、冬季は歩く人とて少なく、直線部分だった軌道の跡と、改造された駅舎とホームに少しの面影を残している。

856 エゾシカの革

エゾシカの革ブログ846のエゾシカの皮がなめし終わり、半乾きながらこのようになった。脂肪や結合組織の取り残し部分が厚くなって残っている。なめす前にするべき作業だった。この時点でのスクレーパーは役に立たないので、指先で摘み上げて黒曜石の石刃や破片の刃で丁寧に削ぎ取る。切れ味は文句なしだ。はるか遠い昔の、ご先祖さんたちの真剣な眼差しと後ろ姿が浮かんできた。

855 スギとトドマツ

スギとトドマツ壮瞥川が昭和新山に遮られ、新山沼になるあたり。写真中央の褐色がかった針葉樹がスギの林で、その下にはシラカバ。その上の濃い緑がトドマツ。スギ林は道南にかけて多くなり、ここ以北はトドマツ林が多い。その分かれ目がこの辺りだ。春ともなれば本州ではスギ花粉のニュースで賑やかになるが、北海道ではシラカバの花粉アレルギーが話題になる

854 山眠る・有珠山

厳冬の有珠山南東側からの有珠山山頂部。本格的な冬となった。山頂は雪をかぶり樹々は葉を落とした。山は眠っている。草津白根山が噴火し、続いて蔵王山も噴火警戒レベルが1から2へと引き上げられた。2011年の東日本大震災をきっかけに、日本列島の火山は活動期に入ったといわれている。今年、来年、この山は静穏を保ったままだろうか。次の噴火への折り返し点は過ぎたともいわれる。